「自分らしく)ではない、「日本人」として死にたい。

クリエーティブ・ビジネス塾52「高齢化社会」(2017.12.25)塾長・大沢達男

「自分らしく」ではない、「日本人」として死にたい。

1、「地域包括ケアシステム」
僕たちのマンション(団地)には261世帯の人が住んでいます。そして驚くべきことに、65歳以上の世帯主が80%近くになっています。2020年の東京オリンピックが終わり、2025年になると、団塊の世代が75歳以上になります。
日本は大変な高齢化社会を迎えようとしています。「地域包括ケアシステム」は、地方自治体と地域社会が協力し、だれもがどこでも「自分らしい暮らし」を続けられる社会の実現をめざすものです。厚生労働省が中心になって構想され、高齢者への医療介護、生活支援を、包括的に提供するものです。
「地域包括ケアシステム」は、行政が世話を焼いて、住民に何かをしてくれるものではありません。支え手側と受け手側に別れるのではなく、みんなが役割をもち、支えあい、自分らしく活躍できる地域コミュニティを作るのです。1965年の頃の日本の高齢者はたくさんの若者に支えれていました。「胴上げ社会」です。それが2012年には「騎馬戦社会」に、さらに2050年にはひとりの若者がひとりの高齢者を支える「肩車社会」に変わります(さわやか福祉財団 服部真治)。つまり高齢化社会とは、高齢者自らが高齢者を支えていかなければならない、支えあう社会です。
2、認知症とフレイル
認知症」という言葉はよくありません。「ボケ」。「耄碌(もうろく)」で十分です。「認知症」は「痴呆」に替わる言葉として2004年から厚生労働省で使われるようになりました。せめて「シニア認知症」ぐらいに補って使われるべきです。
もうろくやボケは、病気ではありません。生きとし生けるものは歳をとり、衰えます。ボケます。もうろくします。それを、あたかも重大な病気になってしまったように扱うのは、よくありません。
「シニア」認知症の症状には、中核症状そして行動・心理症状(BSCD=Behavior and Psychological Symptoms of Dementia)があります。中核症状は、もの忘れ(記憶障害)、考えがまとまらない(判断力低下)、おつりの計算に手間取る(計算力障害)、料理・着替えができない、電話・テレビがわからない(失認、失行)、時・場所・人の名前がわからない(見当識障害)。行動症状は、あてもなくうろつく徘徊、暴力暴言などの攻撃行動。心理症状は、不眠、抑うつ、不安、被害妄想、焦燥感です。
「シニア」認知症の原因は、70%近くがアルツハイマー病、20%が脳血管障害型、10%がその他です。
シニア認知症の予防には、「ダンス」がいいとされています。なぜなら、ダンスには認知活動、身体活動、社会的な関係のすべてがそろっているから、身体を動かす、楽しむ、人と交わることが、シニア認知症を防ぎ、改善するのです。
かといって、日本中で踊りはじめるわけにもいきません。働くこと、地域活動をすること、ボランティア活動をすることがシニア認知症対策です(『認知症施策・最前線』前厚生労働省 水谷忠由)。
「フレイル」というやっかいな言葉が、必ず高齢化社会に登場してきます。これもボケとかモウロクのことです。
フレイル(Frailty)とは「虚弱」です。まず身体的フレイル。スムーズに歩き、動くことがむずかしくなる。サルコペニア(Sarcopenia)とは筋肉減少症です。つぎに心理的認知的フレイル。うつ、認知機能が低下することです。そして社会的フレイル。閉じこもり、困窮、孤食などです。健康と介護の間に位置づけられのがフレイルです。
「オーラルフレイル」は口腔機能の衰えです。うまく食べられない。しゃべれない。「パタカ」テストがあります。パ・タ・カを連続して速く発音できるかです。滑舌の良さです。オーラルフレイルは要介護や死亡に直結しています。
フレイル予防でも、栄養と運動、そして社会参加が要点として指摘されています(『なぜ老いる?ならば上手に老いるには〜「フレイル予防」って何だろう』東京大学総合老年学教授飯島勝矢)。
3、医療の終わり
死亡場所の国際比較があります。日本人だけが病院で亡くなっています。日本人は81%が病院、スウェーデン人は42%、オランダ人は35.3%、フランス人は58.1%がそれぞれ病院で亡くなっています。
なぜそうなったか。1)高齢化、核家族化で「社会的入院」が増えた、2)リハビリに乏しい入院治療で寝たきり患者が増加した、3)地域医療の力量不足。しかし多死社会が到来します。2010年に110万人の死亡者は2040年には160万人になります。このままでは、80%が死亡する病院医療は存続できません。
そしてここでも「地域包括ケアシステム」が叫ばれています。生活の場で、医療介護、生活支援が受けられるようにすする。さらに医者はこう宣言します。「健康の獲得は医療の独断場ではなくなった」、「かかりつけ医を持とう」(「住み慣れた地域で最後まで」調布市医師会 西田伸一)。
なーんだ?ということになります。「認知症」だ「フレイル」だと、さんざん理屈をこねておいて、最後は医療だけではなにも解決できないというのですから。「姥捨山(うばすてやま)」を笑えません、古人の悲痛な知恵があります。
厚生労働省に「支えあい」を説いてもらわなくていい。「自分らしく」の価値観の押しつけはやめて欲しい。「人」という字は誰かが誰かを支えています。「自利利他」(じりりた=悟りを開き、他人の救済のため働くこと)、「忘己利他」(もうこりた=自分のことはあとに、他人のために役立つこと)です。「知らせられたり知らせたり、助けられたり助けたり、教えられたり教えたり、纏(まと)められたり纏(まと)めたり」。「自分らしく」ではありません。地域社会のなかでの自分です。コミュニティあっての僕です。共同体の中でも私です。僕は日本人として死にたい。