なぜコミュニティ(隣近所)は崩壊したのでしょうか。

クリエーティブ・ビジネス塾7「高齢者の社会参加」(2018.2.12)塾長・大沢達男

なぜコミュニティ(隣近所)は崩壊したのでしょうか。

1、社会参加と健康維持
認知症」(Dementia)という言葉には困ったものです。痴呆症を言い換えたものです。痴呆では差別につながる、ポリティカルコレクトネスからです。ほかに日本には「もうろく(耄碌)」、「ボケ」などの言葉がありますが、否定されました。認知症のほとんどは病気ではありません。加齢による衰えです。だれもが死から免れることはできないように、老化から逃げることはできません。医学は死や老化を治療できません。だから「認知症」という病気を老人に押しつける言葉はおかしい。
米の老年学(Gerontology)パウエル・ロートンの「高齢者の生活機能に関する7つの階層モデル」があります。1)生命維持 2)機能的健康 3)知覚ー認知 4)BADL(Basic Activity of Daily Living) 5)IADL(Instrumental Activity of Daily Living) 6)状況対応(知的能動性) 7)社会的役割。人は誰でも1)の段階から7)の段階に成長し、歳をとるに従って、7)から1)に向かって老化していきます。
日本にも「労研式活動能力指標」があります。手段的自立、知的能動性、社会的役割の3段階にわけて、13に質問が用意されています。たとえば1)バスや電車を使ってひとりで外出できますか?・・・8)本や雑誌を読んでいますか?・・・13)若い人に自分から話しかけることがありますか? (『何歳まで働くべきか』p.34~37 藤原佳典 小池高史編著 社会保険出版社)。シニア認知症の解決法は、ここではっきりと示されます。社会的役割を果たせなくことから「もうろく」は始まります。社会参加がシニア認知症に効くのです。
2、正義を語る住民エゴ
シニア認知症には社会参加がいい。でもこの結論は留保しなければならない。ある条件が必要です。
3年前にある261戸からなるマンションの管理組合の理事長を経験しました。クレームというかたちで社会参加してくる住民は「正義を語る住民エゴ」としか思えませんでした。
1)昨年の駐車場会計に間違いがある。杜撰と無責任を許してはならない(金額は少額。しかも会計担当者は死亡している。詐欺や横領の疑いはない)。
2)マンションの耐震構造を、理事会は考えろ、安全安心を保障しろ(耐震の予備診断は無料。でも結果は必ずクロ。本診断を多額。そしてクロ。改装は巨額で支払い不可能)。
3)法律的、科学的な専門用語を使ったクレームや生活ルールの厳守を求めるクレーム(気遣い気配りがない、思いやり優しさがない)。
どれもが男性の住民からのクレームでした。
マンションの崩壊は理事会の崩壊から、そして理事会の崩壊は住民エゴから始まる、と言われています。
高齢者の社会参加は望ましい。しかし「正義を語る住民エゴ」はやっかいです。筋が通った主張なので反論がむずかしい、正義であるだけに対応に苦慮します。
3、コミュニティとプライバシー
高齢者の健康維持と社会参加。現在の日本の老年学の結論は「生涯現役」です (p.38)。
人とのつながりを保つことが高齢者の健康にとってカギで、社会的な役割を果たすことが人生で最も高いレベルの生活機能の維持につながります(p.37〜38)。そして高齢者に働くことをすすめます。就業が高齢者の社会貢献の一つの柱なのです(p.47)。さらに高齢者の就業は二重の意味で社会貢献につながります。1)社会保険料を収める社会保障の担い手になり、2)健康の維持で医療費や介護費の支出が抑えられる、からです。従って高齢者の就業は最もプロダクティビティの高い活動になります(p.160)。
なるほど。・・・しかしここには、社会貢献の哲学がない。
日本の社会では<核家族化しコミュニティの分断・崩壊と過剰なまでのプライバシーの保護の風潮が進み現在では、高齢者がちょっとした社会貢献をしようにも「あなたは何者?どういう役目?」といった警戒心を解くことから始めなければならない>(前掲 藤原佳典 p.41)。
私たちは「隣近所が支え合う村」を作れません。<知らせられたり知らせたり、教えられたり教えたり、助けられたり助けたり、まとめられたりまとめたり>(『隣組』作詞・岡本一平)が、できません。
認知症」という言葉は、老人の衰えに病名をつけ、「もうろく」を排除しようとしています。正義を語る住民エゴそのままです。社会貢献には、忘己利他の哲学と、国づくりの理念が必要です。でなければ、住民エゴを排除した、コミュニティの再構築できません。