クリエーティブ・ビジネス塾17「フィガロの結婚」(2018.4.23)塾長・大沢達男
危ない戯曲とエロな台本をもとに、神の音楽を作った『フィガロの結婚』。
1、初夜権
オペラ『フィガロの結婚』の物語は、どんでもないお話です。フィガロとスザンナが結婚するというのに、伯爵が「初夜権」を主張することから起こる、さまざまな悲喜劇を描いた物語です。
初夜権とは中世のヨーロッパで権力者が新婚夫婦の初夜に、新郎の代わりに新婦と初めての性交ができた、という権利です。人権侵害、セクハラどころか、婦女暴行、傷害致傷、強姦。クラッシック音楽、それもモーツアルトの代表的オペラで、こんなことが行われようとしている。
まだあります。ケルビーノの存在です。ケルビーノは伯爵の使い走りの少年(小姓)ですが、女性歌手(メゾソプラノ)が男装した、「ズボン役」と呼ばれるものです。中性的な魅力を持った美しい少年で、思春期のケルビーノはあらゆる女性に興味と憧れを抱いています、やりほうだい、しほうだいのいけない子です。
『フィガロの結婚』は、原作:ボマルシェ、台本:ダ・ポンテ、音楽:ボルフガング・アマデウス・モーツアルト。
上演時間2時間50分、初演1786年。時代は神聖ローマ帝国のヨーゼフ二世の時代のウィーンです。
ボマルシェの原作の戯曲は、公序良俗に反するとして上演禁止になっていました。そこをダ・ポンテが上手く書き換えモーツアルトに作曲を依頼し、オペラとして上演をヨーゼフ二世に了承させました(『モーツアルト フィガロの結婚』p.186~7 小瀬村幸子訳 音楽之友社)。そもそもがあぶない作品でした。
2、あぶない名曲
○「もう飛ぶまいぞ、愛の蝶」・・・もう行けまいぞ、愛の蝶よ、/夜も日もあたりを飛びまわり/美女たちの憩い、惑わしに、/可愛いナルシス、愛のアドニス/・・・・(中略)・・・山越え、谷越え、/雪の中を、酷暑の中を、/ラッパの響きに/臼砲、大砲、加わり/弾丸が轟きわたって/耳をつんざく。ケルビーノよ、いざ勝利へ、/軍人の栄光に向けて。(p.53~54)
伯爵の寵愛を受けていた美少年ケルビーノがあまりもの愛の乱行により軍隊行きを命じられたときに、フィガロがケルビーノに歌うものです。ナルシスもアドニスも、ギリシャ神話の美少年、エロスの化身です。それが軍隊へということは、エロスよりもっと危ないテロルに、身を委ねるということです。フィガロは、エロです。
○「恋とはどんなものかしら」・・・あなた様方はご存じです、/恋とはどんなものか、/ですからご婦人方、ご覧ください。/ぼくが心に恋を抱いているかどうか。/ぼくが感じているとを/あなた樣方に申してみます、こんなことはぼくには初めて、/それでこれが何か分かりません(後略)・・・(p.64~65)
美少年ケルビーノが、伯爵夫人に捧げる歌です。恋とはどんなもの・・・、ぼくが感じていること・・・ぼくには初めて・・・、美少年は奥様に何をしていただいたのかしら。とてもいやらしい。ケルビーノも、エロエロです
○「そよ風に寄せる」(手紙の二重唱)・・・そよ風によせる/いかばかり甘い春風が/春風が・・・/今宵、吹きましょう、/今宵、吹きましょう・・・/林の松の木々のもとに、(後略)・・・(p.135~136)
伯爵夫人と花嫁が共謀して、初夜権を狙う伯爵に偽手紙を書くという、二重唱です。正義の名のもとに、ふたりは好色の伯爵以上に、愛と性をもてあそんでいます。伯爵夫人は、エロエロエロです
3、ボマルシェ
「貴方(伯爵閣下)は豪勢な殿様ということから、御自分では偉い人物だと思っていらしゃる!貴族、財産、勲章、位階、それやこれや鼻高々と!だが、それはどの宝を獲られるにつけて、貴方はそもそも何をなされた?生まれるだけの手間をかけた、それだけじゃありませんか。人間としてもねっから平々凡々。」(『フィガロの結婚』p.171~172 ボウマルシェ原作 辰野隆訳 岩波書店)。
これは戯曲『フィガロの結婚』にある有名なフィガロの20分に近い長いセリフの一部分です。ボマルシェの『フィガロの結婚』は、貴族の無為、放埒、堕落をと庶民の反抗心をテーマにした作品として、1789年のフランス革命を準備した著作のひとつにあげられています(辰野隆 前掲p.207)。公序良俗どころか、反権力の政治思想をもった危険(あぶない)で、革命を準備するテロの香りを持った作品でした。
ところが不思議。ボマルシェの原作はテロで、ボ・ダンテの台本はエロでも、モーツアルトのオペラは違う。
「もう飛ぶまい・・・」、「恋とは・・・」、「そよ風・・・」のメロディは、人間の喜怒哀楽を飛び越えています。モーツアルトは音楽で何かを描こうとする下衆なことをしていません。音の連なりの美しさ、悲しさ、ただそれだけで勝負しています。モーツアルトの音楽は「絶対メロディ」と呼べるようなものから構成されています。モーツアルトは人間どもの悲喜劇に、光り輝く静謐の神の音楽で応えました。