荒木経惟への手紙

クリエーティブ・ビジネス塾35「荒木経惟②」(2017.8.28)塾長・大沢達男

荒木経惟への手紙②」

荒木さん、オペラシティの写真展だけで、ぼくは満足しました。
そしてどうせ、恵比寿(写真美術館)に行っても、同じことだろうと思い、行くのをためらっていました。
ところが芸大の先生のトークイベントがあることを知り、ぼくもいっちょう能書きを言ってやれ、と冷やかし気分で恵比寿に行きました。
荒木さん、不覚にも恵比寿で、二度目のアラキに、感動してしまいました。
『センチメンタルな旅』。
なんども見ている写真です。でも、見ていて泣きそうになりました。
「写真は並べ方なんだよ」「オレはなんどもなんども、並べ替えるよ」
まずどれを選ぶか、そしてどう並べるか。荒木さんの熱い語りが聞こえてきました。
初夜のドラマは盛り上がり、ふたりは生きている。しかし、ふたりの結末をすでにぼくは知っている。
泣きそうではみっともないので、暗室でやっている「空景」のコーナーに行きました。
そしてそれは逆効果でした。
荒木さんが泣いていました。あなたは死を決意していました。
荒井由美の『飛行機雲』と同じです。
そう思った瞬間、ほんとに、涙が落ちてきそうになりました。
やばい、まさか、写真展で泣くわけにはいかない。他人に見られてはまずい。
ぼくは何食わぬ顔をして、足早に残りの作品を目にして、会場を後にしました。
そして、そのままトークイベントが始まるのを待ちました。
トークイベントは、つまらなかった。
だれも荒木経惟を見ていない。写真ばかり見て、くだらないことをしゃべっている。
写真を撮っている、荒木経惟を論じていない。
だから発言するのをやめました。

荒木さん、高知ロケに出発する羽田空港に、荒木陽子さんが見送りにきてくれたのを、覚えていますか。
YS-11は小さな飛行機でしたから、ぼくたちは飛行場を歩いて、飛行機に近づきました。
飛行機のタラップを登るときに、荒木さんは振り返り、遠くのデッキにいる女性に手を振っていました。
ぼくはすかさず、持っていたジャーニー「コニカ」で、謎の女を激写しました。
高知の旅館で荒木さんは東京の彼女に電話していましたね。
「オレがいないから、淋しくってしょーがないだろー、ガッハッハッハ!」
羽田空港のデッキで手を振る謎の女とは、夫・荒木経惟を見送る妻・荒木陽子です。
これって、世紀の大スクープ写真ではありませんか。
ネガはあります。部屋のどこかにあります。

荒木さん、ひとつ、お詫びがあります。
『センチメンタルな旅』を、5年ほど前に渋谷の古本屋に、売ってしまいました。
なんと30万円。
買ってくれたのは日本人ではありません。アメリカのコレクターです。
荒木さんの写真を外国人が買い漁っているのですね。
そしていつか、荒木さんは歌麿北斎のように、なります。

荒木さん、お願いがあります。
死なないでください。もうヤベーかもしれない、と思わないでください。
そして70年代そのままに、写真を撮りつづけてください。
お元気で。
大沢達男