皇室伝統は、IT、AI、バイオの時代になり、さらに重要になる。

TED TIMES 2020-23「皇室伝統-2」 5/3 編集長 大沢達男

 

皇室伝統は、IT、AI、バイオの時代になり、さらに重要になる。

 

3、小室直樹

明治になり「天皇」は、キリスト教的な神になります。

立憲政治国家・大日本帝国を作り上げるためにキリスト教的「基軸」が必要になったからです。基軸とは、憲法が主権者と人民の契約であり、それが絶対である保証、唯一絶対人格神との契約であることです(『奇跡の今上天皇』 p.92~3 小室直樹 PHP研究所)。大東亜戦争後も天皇は残り、デモクラシーの「基軸」になります。

1)天皇教の信者の代表は、小野田寛郎少尉と横田庄一伍長。小野田氏30年、横田氏28年、彼らは軍隊生活で「天皇教」に入信し、上官の命令を待ってアメリカ軍との戦闘を続けました。軍人精神とは「天皇のために挺身して潔く散る」、その志でした。

2)「禁欲(アスケーゼ)」と目的合理的行動は天皇の軍隊だけにありました。敗戦後、天皇教は社会一般の倫理になり、目的合理的な生活態度により日本は驚異的経済発展を遂げます。

3)敗戦により天皇教は危機を迎えますが、「信」、天皇と国民の信頼関係によって、危機は乗り越えられます。

まず開戦、「朕ハ汝有衆(なんじうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(い)シ・・・』。天皇は日本国民の忠誠勇武を信じるから、戦争を決行すると宣言しました。そして終戦。「一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セル二拘ラス戦局必スシモ好転セス」。みんな最善を尽くしてくれたが、戦局は好転しない。ポツダム宣言を受諾します。天皇の国民への信頼は微動だにしませんでした。さらに「爾(なんじ)臣民ノ赤誠二信倚(い)シ」、おまえたちのまごころを信じて、いつまでも、おまえたちといるぞ、と結ばれます。

4)天皇マッカーサー元帥に告げました。「私は戦争遂行中、日本国民が政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動とに対して唯一責任を負う者として、私自身をあなたの代表する連合国の裁定にゆだねるために、ここにやってきました」<モズレー著 高田市太郎訳 『天皇ヒロヒト毎日新聞社 昭和41年 p.316~318>(『奇跡の今上天皇』 p.169~170 小室直樹 PHP研究所)。

マッカーサー元帥は日本最高の紳士と向かい合っていることに気がつきます。

なぜ天皇は紳士だったのか。まず、乃木希典大将が全人格を持って裕仁親王を教育したからです。質素に質実剛健に生きる。次に、山鹿素行『中朝事実』をお手本にしたことです。乃木は明治天皇崩御の後自決しますが、殉死ではありませんでした。西南戦争で軍旗を奪われたからでした。日本軍人は捕虜にならない。軍人精神を教育しました。そして素行・乃木のイデオロギーはデモクラシーでもありました。君が理想的であれば、民も理想的になる。結果、国家も理想的になる。皇太子時代の英国立憲政治の経験がこの教育と核融合します。「国家の元は民にあり」(『奇跡の今上天皇』  小室直樹 PHP研究所)。

質実剛健、軍人精神、デモクラシーが天皇裕仁を紳士にしました。

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「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行 1118~1190)

「大君の辺にこそ死なめ かえりみはせず」(大伴家持 718~785)。「七生報国」(楠木正成 1294~1336)。

国のために命を捧げる「殉国」。それは美しい。しかし戦争はなくなりました。平和主義者を気取っていうのではありません。2012年の死亡者5600万人、その内訳は、戦争12万人、犯罪50万人、自殺者80万人、糖尿病150万人。火薬より砂糖が危険になりました(『ホモ・デウス』 p.25 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社)。

私たちはロマンチックになって、天皇と皇室を大げさに考えすぎます。

今の若い人は違います。1988年の調査では、「天皇に何も感じていない」がトップでしたが、2018年には、「天皇を尊敬する」が41%でトップになっています(NHK調査『皇国史観』 p.210)。

中世の歌人西行伊勢神宮に参拝した時の、涙の意味は何だったのでしょうか。

伊勢に参拝したことがないので、明治神宮靖国神社の経験から、西行の涙を想像していました。「かたじけない」から「恐れ多い」を連想し、皇室への恭順を考えていました。

しかし神社は一神教ではない、天照大神をはじめ八百万の神さまいらっしゃいます。「かたじけない」はひたすらに「ありがたい」の方がいい・・・。IT時代の若者は、バイオテクノロジーでは説明ができない「魂」や「心」のよりどころとして、皇室と神々を求めています。