『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹 中公文庫)を読む。

TED TIMES 2020-57「総力戦研究所」 10/12 編集長大沢達男

 

『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹 中公文庫)を読む。

 

1、日米戦争

昭和16年(1941年)12月8日・真珠湾攻撃前の4月に、陸海軍、各省庁、民間から30代の俊英が集められ模擬内閣が組閣され、日米がもし戦うことになったらどうなるか、シュミレーション実験が行われました。

80年前へのタイムトラベルは面白い。もし過去の歴史に現在の私が手を出すことができるなら、それに越したことはないのですが・・・。

『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹 中公文庫)は、その模擬内閣のシュミレーション実験の報告レポートです。

どこが面白いか。著者の猪瀬直樹が、GHQ(占領軍の占領政策)によって洗脳された「平和と民主主義」者でないからです。

まず猪瀬は、GHQ発案で学校教育の洗脳に使われた「太平洋戦争」という用語を使いません。かと言って正しい用語である「大東亜戦争」も使いませんが・・・。「日米戦」、ないし「第二次世界大戦」を使います。

次に、東條英機です。「彼が総理大臣になるなど、当時はだれも予想していなかった」(p.225)。そして猪瀬は、東條が真面目で実直な軍人で、理念や思想などはなかった、と断じています。東條は、ヒトラーと並べられるファシスト、日本を戦争に導いた軍国主義者ではありません。

そして昭和天皇。日米戦への決定が事実上なされた昭和16年9月6日の御前会議で昭和天皇は、「四方(よも)の海 皆同胞(はらから)と思ふ世に など波風の 立ち騒ぐらむ」(明治天皇御製)を読み、「朕はこの御製を拝誦して大帝の平和愛好の精神を紹述せんと努めている」と、発言しています(p.93)。天皇ファシスト軍国主義者として描いていません。

2、石油

日米戦のシュミレーションで一番問題になるのは石油です。

アメリカの対日石油禁輸措置は8月1日ですが、実質的には「石油製品輸出許可制」が実施された6月21日で、以降一滴の石油も日本は入手できなくなっていました。「持たざる国・日本」と「持てる国・アメリカ」の戦い、日本の石油ストックは、1時間で400トンが消え(p.139)、2年で底をつくとされていました。しかし南方油田を占領すれば、石油は残ると、10月29日の大本営・政府連絡会議で報告され、日米開戦反対派の根拠は消滅します(p.177)。

しかし、「実際にインドネシアの油田を急襲したのは17年2月17日」(p.143)、しかも「石油を運ぶタンカーはアメリカ潜水艦のエジキ」になります(p.183)。シーレーンの確保がされていませんでした。石油を積む船がいつになっても来なくなります。最後は生ゴムの袋に石油を詰めて海岸に流しました。島崎藤村の「椰子の実」の歌のように、石油が日本に流れ着くことを願ったからですが、なんとも悲しい話です。

数字は説得力があります。反論できません。でもそれは偽装された間違った数字でした。

事実、模擬内閣もシュミレーションでも、シーレーンの確保ができないことを指摘していました。商船保有量は300万トンのうちタンカーは1割。石油はドラム缶で輸送。戦争が始まれば商艦隊は沈められる、造船能力は撃沈量を上回ることができない。輸送船舶は消滅する(p.152)。

現実に昭和19年に日本商船隊は全滅、持たざる国は何もない国になっています。

日米戦のシュミレーションは16年8月に、勝ち負けどころか戦争は無理、という結論で終わります。

3、志村正

35人の総力戦研究所の研究生の中に、印象に残る一人の個性がいました。模擬内閣の海軍大臣、海軍少佐の志村正です。

「『勝つわけないだろ』 志村は開戦反対論者として研究生の間では初めから特別視されていた」(p.125)。12月8日の日米開戦のその日、みんなが有頂天になっているときに志村は、「(前略)アメリカの実力を知らなすぎるよ。フンドシかつぎが横綱に挑戦するようなものだ。私は米国駐在武官として数年現地にいたが、その実力を目のあたりにしてきた。(中略)まったく無茶な戦争を始めたものだ」(p.204)、と言い放ちました。

そして「『敵艦に体当たりして死ねたら本望だなぁ」と、軍人として願いをつぶやきます。

戦後の志村は、模擬内閣のメンバーがみな、戦後社会で立身出世をする中で、官職に就かず市井の人に徹しました。大阪・道頓堀の碁会所のオヤジです。