天皇は日本の伝統です。ぼくたちは日本の歴史と伝統を大切にします

クリエーティブ・ビジネス塾32「天皇退位」(2017.8.7)塾長・大沢達男

天皇は日本の伝統です。ぼくたちは日本の歴史と伝統を大切にします」

1、上皇
平成は30年で終わります。平成の天皇は退位され、皇太子徳仁親王が、天皇に即位されます。天皇退位特例法が6月9日に成立しました。
平成天皇上皇(じょうこう)、皇后陛下上皇后皇位継承順位1位の秋篠宮皇嗣(こうし)と呼ばれるようになります。「平成」が終わり、新しい時代がはじまります。
2、皇室
現在の天皇陛下は第125代目です。日本の皇室は神話の時代の神武天皇即位から、2600年以上も連綿と続いていて、西暦2017年は皇紀2677年にあたります。日本の皇室と西欧の王室は全く違います。
まず、ヨーロッパの王室は敗戦や革命でなくなる短命です。日本の皇室の歴史は2600年、第2次世界大戦の敗戦後も続いています。これは西欧人にとって驚異で、不思議です。
次に、皇室の歴史は『古事記』、『日本書紀』に書かれています。その記述は、天照大御神(あまてらすおおみのかみ)から始まり、現代までつながるものです。西欧の王室は「記紀」のような文献を持っていません。
そして天皇家には姓がありません。中国では、王朝が変わると姓も変わります。天皇は臣下に姓を与える存在でした。皇室は中国の王朝より古い、歴史と伝統があります。
さらに、天皇いる倭(やまと)の国は、言霊(ことだま)の国でした。独自の文学がある国でした。大和言葉には言霊がありました。『古事記』には漢字が使われていますが、音標記号としてです。天皇は日本文芸の主宰者でもありました。(「皇統『125代』が日本の誇り」渡部昇一 『WiLL』2005.2)。
皇室は日本人の総本家です。日本人が使う日本語は皇室とともにあります。世界最古の小説『源氏物語』は皇室の物語です。
3、まこととまごころ
古事記』も『日本書紀』も天皇のことを、「しらすすめらみこと」と書いています。「すめらみこと」とは天皇のことです。「しらす」とは、統率する、支配するの強権政治(「うしはく」)ではありません。
しらす」は「知らす」です。上に立つものがおのれを鏡として、下の者たちのありのままを映し出す(『未完のファッシズム』p.219 片山杜秀 新潮選書)。上に立つ者の心はただひたすら鏡そのものでなければならない。上に立つ者は自らの考えを押しつけ押し通すべきではない(p.219)。
天皇はおのれを空っぽにして全国民の「まこと」を求める「まごころ」を引き受ける。真澄の鏡にならなければならない(p.270)。その「まごころ」は「すめらみこと」の心と一体化して、個々人が死んでしまおうが、天皇の存在する限りは生き続ける。死して「悠久の大義に生くる」という文句もこの論理で基礎づけられる(p.271)。結局「まこと」を求める「まごころ」の作用とは、次から次へと現れる偽りや醜さや悪を無制限に打倒し続けることに他ならない。永久戦争だ(p.275)。「弾がつきたら銃剣を以て突撃せよ。銃剣が折れたら、鉄拳を以て躍りかかれ、鉄拳がくだけたら、歯を以て敵兵を噛み殺せ・・・」(p.280)
そして、「 バンザイ突撃」になって、戦争は終わります。
昭和の指導者たちは、近代の戦争が物量戦、総力戦であることを知っていました。「持たざる国」はどうすれば「持てる国」との戦いに勝てるのか。その結論が精神主義でした。
兵隊や兵器や弾薬が足りなくてあたり前(中略)気力と創意工夫と作戦で補えば如何に劣勢でも勝てる(p.124)。無の国だからこそ、我欲にまみれて混沌と角を付き合わせる世界を円満に整理できる。日本が(中略)末法的状況から一気にユートピアを生み出す。歴史の運命だ(p.172)。
「持てる国」と戦った「持たざる国」の昭和の人たちは、悲しく、あわれでした。
しかし戦後にはもっと大きな悲劇が待っていました。占領軍は検閲と言論弾圧の文化の戦争を仕掛けてきました。そして日本の歴史と伝統は否定され、日本人は言葉を奪われ精神を粉々に打ち砕かれます。
300万人の戦争の犠牲者どころでありません。1億3000万人の日本人が、マッカーサーという名のハーメルンの笛吹きに連れられ海に姿を消し、文化の戦争の犠牲者になろうとしています。「まこと」と「まごころ」の日本人が集団自殺し、30世紀にはこの地球から姿を消そうとしています。
ぼくたちは、新しい天皇のもとで歴史と伝統を大切にする新日本人として、悠久の大義に生きるために、生まれ変わらなくてはなりません。