シカゴ学派のハイエクとは何か。

TED TIMES 2020-54「ハイエク」 9/27 編集長大沢達男

 

シカゴ学派ハイエクとは何か。

 

1、ハイエク

ハイエクは1899年5月8日にオーストラリア帝国ウィーンで生まれました。第1次大戦後のウィーンで自由主義経済学のオーストラリア学派の経済学者として活動を始めます。

ファッシズムが台頭してきたために、1931年イギリス・ロンドン大学に移ります。イギリスには不況から脱出するために、国家が経済に介入するべきだと主張するケインズがいて、論争するようになります。

1944年『隷属への道』、1950年アメリカ・シカゴ大学へ。フランク・ナイト、フリードマン、ルーカスなど自由主義経済のシカゴ学派の一員として論陣を張ります。1980年代になってフリードマン、ルーカスはケインズ派の天下を打ち倒すために戦います。

なぜ自由主義か。経済は現場で起きている。中央当局は経済計画を立てることができない。統計的情報は経済の実態を伝えていない。だから中央が決めることは、全体主義への道であり、文明を破壊し、将来の進歩を不可能にしてしまいます。

経済活動は民間の自由に任せなさい、がハイエクの主張になります。しかしハイエクは国家の役割も認めています。競争が有効に働くために法的枠組み、政府の介入です。また、労働者の保護、最低所得の保障、医療・災害保険のお膳立てを国家がすることも認めています。

2、自由主義

1)ハイエクvsランゲ・・・社会主義経済計算論争。ことの発端はオーストラリア学派のミーゼスが、社会主義の経済計画は無理だ、と文句をつけたことから始まります。

市場がなければ価格をつけられないからです。これに対してポーランド出身の社会主義経済学者が、新古典派レオン・ワルラス一般均衡理論を使い、計算は可能だと主張します。

「市場社会主義」です。ランゲの勝ち、と思われた議論にハイエクが参戦。社会主義経済論争は不可能、を主張します。

人々が何をどれだけ欲しいか、どれだけ提供できるかを、中央当局が知ることはできない、からです。このことによりハイエク社会主義のみならず、新古典派、主流経済学の根底をひっくり返す孤高の経済学者になります。

2)ハイエクVSケインズ・・・ハイエク(1899~1992)の視点は、企業家という個人の視点です。企業家は時間の流れの中で、物財と生産要素の配置を自由に変えることができます。

ケインズ(1883~1946)の視点は、モデルの手法です。制度の分析、独立変数と従属変数を統計的・集計的なデータに基づいて区別し、モデルにわけ分析しました。

ハイエクは起業家が個人の知識と勘で利潤を生み出し、ケインズは資産市場の投機で利潤が生まれると、考えていました(p.113)。

3)経済学者・・・「物理学者でしかない物理学者は、それでも一級の物理学者で、しかももっとも価値のある社会の一員である。しかし経済学者でしかない経済学者は、危険か、もしくは迷惑である」(p.116からの要約)。ハイエクのこの言葉は、ハイエクの経済学の本質を表しています。ぞしてマルクス主義への皮肉がありました。

まず、資本論マルクスは、天体運動法則と同じような法則を、経済でも発見できると宣言し、それに挑戦しました。マルクスは物理学と経済学を同じだと考えました。

次は自然科学と社会科学の違いです。経済活動をする人間は、合理的な活動をする経済的な人間ではありません。経済学はハイエクの志向する方向で発展してきました。

3、シカゴ大学

ハイエクは1950年にシカゴ大学へ赴任します。シカゴ大学は1929年に、体育系、文化系、全ての部活動を廃止し、フットボール競技場を閉鎖し研究所にした学問研究のための大学です。学部を廃止し世界で唯一の大学院大学になった学校です。

ハイエクの『隷属への道』を翻訳した西山千明は、そのシカゴ大学に1950年から11年間学びました。今回はここまで、これから『隷属への道』を読みます。