TED TIMES 2021-17「『坂の上の雲』」 4/22 編集長 大沢達男
『坂の上の雲』に感動できない、私が悲しい。
1、紅旗征戎我が事にあらず
GHQから与えられた日本国憲法は、早く改定すべきだと思います。<自衛隊は戦力ではない>という嘘を、次世代と、世界に向かって、主張すべきではありません。
と、私はいわゆる右寄りの意見の持ち主ですが、戦争の話に興味を持てません。『坂の上の雲』を読んでいて、つくづくそう思いました。
ところが平和と民主主義を主張するリベラルの人ほど、秋山好古や真之に興味を示し、戦争に興味を持つのは、なぜでしょう。
良い戦争と悪い戦争があるのでしょうか。戦争の話に興奮する男性は病気です。いや・・・戦争に話に興味をもてない私こそが、病気なのかもしれませんが。
「シモセ・パウダーといわれる下瀬火薬が発明されたのは、明治21年のことで・・・」(4-p.80)「物の量からいえばこの戦争は、日本にとってほとんど勝ち目がなかったが、わずかに有利な点は下瀬火薬にかかっていたといえるであろう」(4-p.82)
下瀬火薬を知って何か役に立ちますか。そして奉天会戦での秋山好古の戦いは、私の生き方に影響を及ぼすでしょうか。さらにはバルチック艦隊に対して秋山真之の戦法は、ビジネスに応用できるものでしょうか。
つぎは、軍人たちの人物談議がいやです。薩摩人と長州人のタイプの違い。それぞれの人間批判。
「(陸軍の)山県も児玉も長州であり、桂も寺内も長州人である」(4-p.11)。
「日本海軍の設計者が(中略)山本権兵衛である」(3-p.46)
「権兵衛が海軍省の陸上勤務になって最初につかえた海軍大臣は、西郷従道であった」(3-p.49)
「薩摩的将師というのは、右の三人に共通しているように、おなじ方法を用いる。まず、自分の実務をいっさいまかせるすぐれた実務家をさがす。(中略)なにもかもまかせきってしまう。(中略)東郷平八郎も、そういう薩摩風のやりかたであった」(3-p.51)
「『人間が大きい、という点では大山巌が最大であろう』」(3-p.50)「『その(筆者注:西郷)従道でも、兄の隆盛とくらべると月の前の星だった』」(3-p.50)
ロシア人も同じように描かれます。一刀両断にされます。
「この意味ではロジェストウェンスキーは強烈な正義の人であったが、ただその正義を発動する対象は東郷艦隊ではなく、自分の艦隊であった」(6-p.308)
「ロシア軍の敗因は、ただ一人の人間に起因している。クロパトキンの個性と能力である」(7-p.113)
これらの、上から目線の人物像とは何でしょう(もちろん引用箇所には作中の登場人物の発言もありますが)。作者は神なのでしょうか。
そして、日本陸軍と海軍の作戦には、日本の歴史上のさまざま作戦の集積が生かされている、という記述には笑い出してしまいます。
「(日本人は、倭寇の昔をわすれたのだ)古い水軍の研究者である真之はおもうのである」(4-p.69)
「黒木為楨は、『ああ、義経の鵯越だな』と、すぐに理解した」(4-p.128)
「戦術の要諦は、手練手管ではない。日本人の古来の好みとして、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし、そのような奇功のぬしを名将としてきた。(中略)ところが織田信長やナポレオンがそうであるように、敵を倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒するということが、戦術の大原則であり(後略)」(p.285)
「この和泉の行動を、この当時、大本営参謀だった小笠原長生が、小牧長久手の戦いにおける徳川方の本多平八郎忠勝の果敢な接触(秀吉軍への)に比較しているが、たしかに状況と行動は酷似していた」(8-p.20)
源義経の鵯越(ひよどりごえ)に戦い、織田信長そして水軍。あるいは将棋や柔道の戦法。日本は「武」の国であることを強調しているのでしょうか。機関銃と巨砲の戦艦時代に、侍の戦いが関係があるのでしょうか。
2、天皇
日露戦争といえば『明治天皇と日露大戦争』(渡辺邦男監督 新東宝 1957年)があります。天皇抜きに語れません。
しかし『坂の上の雲』の明治天皇は、「明治帝」として二、三ヶ所の記述があるだけです。作者はあきらかに、天皇を避けています。無視と言ってもいい程です。
作者は日本民族をも問題にしています。日本民族を語るときに、天皇を無視して語ることができるでしょうか。
「好古は生涯天皇については多くを語らなかったが、昭和期において濃厚なかたちで成立する『天皇の軍隊』という憲法上の思想は好古の時代には単に修辞的なもので、多分に国民の軍隊という考え方のほうが濃かった」(8-p.296~7)
そして、明治天皇に殉死した乃木希典にも、作者は、辛く当たります。
「旅順の死闘の象徴的な存在として有名になる『白襷隊』・・・」(4-p.391)
「『退却なし』という三千百余人の白襷隊が、旅順要塞の砲火を浴び、一挙に千五百人が血けむりをあげて死傷するにいたる」(4-p.392)
「そのあと、児玉は乃木軍司令部の作戦について痛烈な批判をしはじめた(中略)無能、卑怯、臆病、頑固、鈍感、無策・・・」(5-p.76)
しかしさすがに気がとがめたのか、あるいは新聞連載中の読者の抗議からでしょうか、一転して乃木賞賛の記述も付け加えています。
「死あって生なし何ぞ悲しむに足らん/千年朽ちず表忠碑/皇軍十万誰か英傑/世を驚かすの功名これ此の時(乃木希典)」(5-p.140~1)
「乃木は、その容姿と言い人格的ふんいきと言い、外国人にさえ一種尋常でない感動をあたえるなにかをもっていたのであろう。」(6-p.253)
「以下、ハミルトンの文章である。『親しく接すれば接するほど、乃木将軍の印象が深められてゆく。威あって猛(たけ)からずという風丰(ふうぼう)のうちに、高潔な人格と瞑想的な英雄精神がにじみ出ている。あくまでも謙譲で、勝利に驕っているというようなところはみじんもない。・・・・・・もし私が日本人であったなら、乃木将軍を神として仰ぐであろう』」(6-p.260)
しかし軍神乃木希典は、明治天皇に殉死します。それが司馬遼太郎は嫌なのです。作者は日露戦争の勝利を語りたいが、大東亜戦争の敗北については語りたくない。大東亜戦争について語れば、天皇を問題にせざるを得ない。だから天皇を無視したのでしょう。
佐藤優(作家・元外務省主任分析官)と片山杜秀(慶應義塾大学教授)の対談、「司馬遼太郎『坂の上の雲』大講義」(文藝春秋 2021.1~5)があります。
ふたりは国民文学として『坂の上の雲』を絶賛しています。しかし賛成できません。ただ面白い指摘があります。
1)真之の”悩み”や”虚無感”を”天皇神話”では吸収できない(佐藤優 文藝春秋 2021.3-p.431)。
秋山真之は、日露戦争後に神道系の新宗教「大本(おおもと)」に入信しその幹部になっています。真之には明るい前半生と暗い後半生がありました。佐藤はそれをさし天皇の限界を指摘し、さらに片山は、鴎外や漱石も”悩み”、”虚無感”を天皇では解消できなかった、と展開します。
なぜ天皇を大げさに考えるのでしょうか。「天皇制ファッシズム」の影響です。戦争の原因は天皇制にあるというマルクス史学の考え方のです。司馬が天皇を無視するのもその影響です。
日本の歴史には天皇があります。その始まりには古事記と日本書紀があり、そしてそれは万葉集、勅撰和歌集と続いてゆきます。日本の歴史と日本語の歴史には、天皇があります。好き嫌いや善悪ではありません。事実です。
2)日本と朝鮮半島の関係、この「居心地の悪さ」には、耐え続けることこそ「旧宗主国」の責任である(佐藤優 5-p.347)。
なぜ日清、日露戦争は起きたのか。日本が最も恐れたのは、朝鮮半島が他国の属領になることでした。そうなれば日本の防衛は成立しないからです。そして日本は二つの戦争に勝ち、朝鮮半島を併合するようになります。もちろん朝鮮半島の人々にとってはいい迷惑でしかありません。しかし彼ら自身の統治能力にも疑問がありました。植民地支配を美化するのでもない、頭を下げ続けるだけでもない。そして結論が「居心地の悪さ」に耐え続けるのです。これは参考になります。
3)結局のところ、司馬さんは”日本が嫌い”だったように思うんです(片山杜秀 1- p.214)
司馬の原点は遊牧民族のモンゴルです。遊牧文化が日本に伝わり、東国武士が生まれ、弁髪の変形の月代(さかやき)のちょんまげになり、源氏が勝ち、東軍が勝つ日本史が展開されます。そして維新で、”若者が父親世代に反抗する西日本文的な文化”が、逆転します(以上は片山杜秀 5-p.342~3)。
この辺はちょっとややこしいのですが・・・。今の時代の遊牧文化にあたるのが、「平和と民主主義」、「マルクス主義」、「リベラリズム」、そして新聞小説から生まれた「司馬史観」です。
団塊の世代へのミレミアム世代からの反抗、マスメディアへのネットメディアからの抗議、「令和維新」が必要です。
まあともかく、国民文学の作者が日本嫌いではどうしようもありませんが。
4、みやび
『坂の上の雲』は、女性が登場してこない、異常な物語です。
つまり恋と性が描かれていません。そして戦う男たちを支えた女たち、銃後の女たちが描かれていません。
多分作者は、女を描けないのでしょう。
軍人は恋をしなかったのでしょうか。恋の力が戦う力にならなかったのでしょうか。女がいない物語は日本文芸ではありません。
『坂の上の雲』には、もののあわれ、みやび、わび、さび、幽玄、花がありません。そして好き者や数寄者が登場してきません。なのに国民文学とされています。
『坂の上の雲』を、ノートを取りながら、3ヶ月かけて精読した努力は無駄でした。
とはいえ、報われたこともありました。
ひとつは、本日天気晴朗ナレドモ浪高シ、の秋山真之の言葉。
日本海海戦の開戦の時、連合艦隊司令長官から大本営への電文です。
「『敵艦見ユトノ警報二接シ、聯合艦隊ハ直二出動、之ヲ撃滅セントス』(中略)そのとき真之は、『待て』ととめた。/すでに鉛筆をにぎっていた。その草稿をとりもどすと、右の文章につづいて、/『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』/と入れた。」(8-p.36)
天気晴朗ナレドモ浪高シとは、視界はいいが、船が揺れる、注意して照準を当てる必要があるということです。
古人曰く、「勝って兜の緒を締めよ」(8-p.290)。
まあ、いずれもあまり関心がもてない戦争の話ですが、世間並みの常識を持つことができ、みんなに話をあわせることができるよろこび、とでもいいましょうか。
以上。