TED TIMES 2021-39「横尾忠則」 10/2 編集長 大沢達男
グル・横尾忠則は、すでに死んでいました。
1、ジ・エンド・スタジオ
私(当時電通に勤めていました)は、小説家の南雲海人さん(当時早大生でした)と二人で、アポイントメントなしで横尾忠則さんの事務所を襲撃しました。横尾さんが、及川正道さん(『ぴあ』の表紙イラストレーター)と共同事務所「ジ・エンド・スタジオ」を始めたのは、1968年ですから、たぶん70年代の前半だと思います。事務所のドアをノックし、出てきた横尾さんを突然、撮影し始めました。私は8ミリカメラを回し、南雲さんはスチルカメラで、パチパチ。
「ヨコオさんですね。ヨコオさんに間違いありませんね」
そしたら横尾さんも、事務所の奥の誰かに向かって、
「オーい!カメラ、カメラ、カメラ!」
と大きな声で叫びました。
いまなら家宅不法侵入にでもなり、110番通報されそうですが、当時は常識でした(そうでもないか?)。
ハプニング。突然予期せぬことに出くわした人間はどんな行動を取るか。それを写真に撮る、マン・ウォッチングの表現行為でした。
ほんの数分の出来事です。私たちは横尾さんを撮影したことで、目的達成。事務所に上がり込むこともなく、撮影済みのフィルムを没収されることもなく、すぐさま退散しました。
当時の横尾さんは、寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場、大島渚の『新宿泥棒日記』のポスターを制作したスーパースター。私たちのあこがれ、それで襲撃したのです。
2、『ロンドンの4日間』
「GENKYO 横尾忠則」(東京都現代美術館 2021年7月17日~10月17日)の冒頭にある、「ロンドンの4日間」に私は、ノックアウトされました。点描、抽象でありながら豊かなストーリー、さらに音楽的な色彩感覚、そしてなによりタイトルが気に入りました。今回の展覧会でこれが最高傑作だと、勝手に決め込み、これをしのぐものがほかにあるか、と会場を一巡しました。そして結論に間違いなしと、確信をもって、再び冒頭の「ロンドンの4日間」の絵の前に戻り、会場を後にしました。
ところが、家に帰って展覧会のカタログ『横尾忠則 その創造と歩み』(国書刊行会)に、「ロンドンの4日間」は掲載されていませんでした。
「アレー、おかしいな?」、「出来立てのホヤホヤだから載っていないの?」。
そしてよく調べると、「ロンドンの4日間」は最新作どころか、最「古」作でした。1982年「画家宣言」をしたときの、ペインティング作品だったのです。あー恥ずかしい。私は40年前から現在まで前進し続けた横尾さんを、全く理解していなかったことになります。
でもしょうがない。好きな作品も、古いのものばかり。三島由紀夫を描いた「死の愛(Love of Death)」も1994年作。そう三島と言えば篠山紀信が撮った写真「三島由紀夫と横尾」(1968年)もいいです。展覧会にはありませんが、カタログ掲載されています。褌(ふんどし)一丁の三島由紀夫が学生帽姿の横尾の首を左腕で抱え右手には日本刀を持っています。そしてもう一つ、これも展覧会にはありませんでしたが、「魅死魔幽鬼男」(2007年)は絶品です。赤の背景に空色のシャツを着て空色の白目の三島が彼方を見ています。正常のなかに狂気があります。
3、ジョン・レノン
私たちの「横尾忠則襲撃の戦果」である。映像、写真は残っていません。『横尾忠則 その創造と歩み』にジョンとヨーコそして横尾忠則の自撮りの写真があります(1971年)。ヒゲを生やし長髪、ヒッピーのグル(導師)のような、私たちが目撃した横尾さんがいます。
「日曜美術館 横尾忠則」(2021.9.26 NHK教育)は、残酷でした。アトリエに音楽はなく、突発性難聴と腱鞘炎(けんしょうえん)の横尾忠則が、静寂のなかで絵を描いていました。カルロス・サンタナの『ロータスの伝説』(1974年)のレコード・ジャケットをデザインした、グル・横尾忠則は、すでに死んでいました。『寒山拾得』などの現在の作品は、死後の横尾忠則が描いたものです。すると「ロンドンの4日間」は、生前の横尾忠則の最高傑作ということになります。