THE TED TIMES 2024-05「篠山紀信」 1/29 編集長 大沢達男
篠山紀信、荒木経惟、坂田栄一郎の時代の終わり。なんだか自分も終わるようで、怖い。
1、篠山紀信(1940~2024)
篠山紀信さん(以下敬称略)が1月4日に亡くなりました。
残念です。私は電通のクリエーターでしたが、なぜか篠山紀信と仕事をすることがなく、そのまま終わってしまいました。
でも電通を辞めフリーになってからの事務所が、港区元麻布の篠山紀信の自宅のすぐそばにありましたので、いつも一緒ような気がしていました。
篠山といえば「オレレ・オララ」(1971)です。
リオのカーニバルの写真です。私はクリエーターになって間もない頃ですが、写真の迫力に圧倒されました。
写真家が身体ごと被写体にぶつかっていました。
写真への興味を開眼させられ、それ以来写真家といばまず篠山紀信と考えるようになりました。
16歳の宮沢りえを撮ったヘア・ヌード写真集「サンタフェ」(1991)があります。篠山は期待を裏切りませんでした。
写真評論家飯沢耕太郎が篠山紀信を「時代のプロデューサー」と表現していますが、まさしく篠山紀信は時代を作りました。
そしていま、「三島由紀夫の家 篠山紀信」(1995年 美術出版社)を手に取っています。書棚から、偶然見つけました。
とんでもない写真集です。いかなる三島由紀夫へ追悼文や評論より優れています。
住宅の全景から、庭のアポロンの彫像を見ながら、玄関を入り、置物、椅子、家具、2階へ膨大な蔵書、書斎、執筆に使った机、そして3階へ窓から東京の景色を見せて、お仕舞いという構成です。
いちばん目を引くのは、三島が執筆に使っていた机が粗末な事務机であることです。家屋全体が装飾が多いものだけに印象的です。
「書斎は作家の頭脳であり心臓部であり、芸術家のもっとも神聖な秘密を宿した奥部である・・・」(篠田達美 p.215)。
私自身が三島の机に座り、万年筆を持ち、原稿用紙に文字を連ねている、ような気分になります。
写真集の中に、三島が客を接待したり、椅子に座ったり、書斎で電話に出たりの写真が出てきますが、それらはぜんぶ、三島家のアルバムから篠山が複写したものです。
篠山自身が三島を撮った写真は1枚だけです。でも家と家具と置物を撮るだけで、三島由紀夫のその息遣いまでが写っています。
篠山紀信は、戦後最大のスキャンダラスの芸術家三島由紀夫の精神を、撮影することに成功しています。傑作です。
そういえば思い出します。元麻布の篠山さんの自宅前を通ると、よくマリファナを吸っている匂いがしました。
あれは篠山さんの家からだったのしょうか。間違えていたらごめんなさい。でも違法の篠山が好きです。
ご冥福をお祈りします。
2、荒木経惟(1940~)
荒木経惟の方が半年だけ篠山の先輩です。
篠山は芝中、芝高、日大のまあお坊ちゃんですが、荒木は上野高校、千葉大の秀才です。
荒木経惟は電通の先輩で、電通時代で最後の高知ロケに一緒に行きました。
荒木はやっぱり天才でした。
乗った飛行機はYS-11でした。飛行機の中から荒木は全開でした。
窓から地上を眺めベラベラ喋りながらシャッターを切っていました。湖が見えると「青い精液だ」パシャ!。
飛行機を降りて電車に乗っても同じです。
「いいか電車が止まったらシャッター押すからね。撮り手の意思から解き放たれた写真。傑作が生まれる」カシャ!。
さらに旅館に入ると大騒ぎ。女中さんが現れると、「そう、それそれ!旅情だよ。襖のところに立って、いいねえ」パシャパシャ!
そして食事の後はストリップに行きました。コートの下にカメラを隠して、いざとなれば、すぐに撮れるようにしていました。
「ヤクザに見つかると、うるせ~から」「やつらに甘く見られないように、靴だけは最高級を履くんだよ」「いざという時、効くよ」。
荒木の出世作で最高傑作の「センチメンタルな旅」は電通時代の作品で1000円で買いました。
先日古本屋に売りました。なんと20万円。
しかし売るまで時間がかかりました。なぜなら買主は、USAだから。荒木のコレクターは世界です。
先日、香港で英語版の「ARAKI」を買いました。内容は全作品集のようなものです。
荒木は商売でも天才。日本では出版できない写真がたくさん入っていました。コート中のカメラから撮った写真です。
そういえば、羽田空港にYS-11を見送りにきた奥さんの「陽子さん」の写真を私は撮っています。
もし、荒木さんお元気でしたら、ご連絡ください。
お売りします(笑)。
3、坂田栄一郎(1941~)
坂田は広告の制作会社ライトパブリシティで篠山の後輩です。
坂田は京北高校から日大出身、しかも大手飲料会社重役のお坊ちゃんです。
競馬が好きです。なぜなら、馬主席に入れるから(金持ち!)。
坂田とはアメリカのリチャード・アベドンのところから、日本に帰ってきた時からの付き合いです。
「アベドンは、コレだから(手のひらをほほのところで斜めにかざし)、タイヘンだよ(お尻を手のひらで覆う)」(聞いていたスタッフは笑う)。
坂田はいつもハッピーでした。背も高く、スラっとしていて、スタイリッシュでした。
坂田の代表作は「LOVE CALL」(坂田栄一郎 朝日新聞出版 2008)です。
1988年から20年間、週刊誌「アエラ」の表紙写真です。
その真骨頂は外国人の写真にあります。
レナード・バーンステイン、カストロ、アイルトン・セナ、アラファト、ゴルバチョフ、サッチャー、タイガー・ウッズ、カルロス・ゴーン・・・など。
「カストロの時はヒドかったよ。自民党の誰だかが入っていきて、5分で撮れって、言ってきたんだよ」
「5分で撮れるわけないでしょう!お偉いさんを怒鳴りつけたよ」
「そしたらそれを聞いていたカストロがニヤニヤして・・・修羅場を経験しているからわかるんだよ」
「撮影はもちろん、うまくいったよ」。
私はサッチャーの写真が好きです。少女のようです。
日本でもいい人がいます。石原慎太郎、堀江貴文、佐藤琢磨・・・国際的な人は皆いい。
「日本人って、スタジオ入ってくると、構えちゃうでしょ。外国の人は、ハーイ!とか言って、フレンドリーでしょ。全然違うんだよね」
50年以上昔、初めて坂田と仕事をした時、彼だけスタッフの弁当を食べませんでした。
自分でランチボックスを持ってきていたのです。
70年代の初めです。69年にアメリカではウッドストックのロックフェスがありました。
ヴェジタリアン、ビーガン・・・、日本の私たちは、そんな流行を知る由もありませんでした。
エーちゃん、あのとき、ランチボックスには何が入っていたのですか。
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荒木、篠山、坂田の前の世代写真界の巨匠、操上和美(1936~)、鋤田正義(1938~)、森山大道(1938~)は、みな元気です。
しかし篠山紀信は突然死にました。そして、荒木経惟の、坂田栄一郎の、噂を聞きません。
私も終わりなのでしょうか。