THE TED TIMES 2024-24「ELVIS and ME 3」 6/15 編集長 大沢達男
プリシラもソフィアも無視するエルヴィスの「ラスベガス公演」。
1、プリシラとソフィア
ナイアガラ道場のみなさん、こんにちは。
エルヴィス・プレスリーです。
今日も天国からチャネリングで、テッドさんがエルヴィスになって、お話いたします。
テナイアガラ道場を紹介してくれたミスター・エーイチ・オータキに感謝します。
Thank you Mr.Eiichi Ohtaki!
さて今回も映画『プリシラ』を巡ってのお話、その最終回です
私がプリシラと出会ったとき、1959年には、「ロックローラー・エルヴィス・プレスリーは終わっていた」、をテーマにして話を続けてきました。
ちょっと脇道にそれます。
プリシラの原作を読み、ソフィアの映画を見て、共通することを、私は感じました。
プリシラとソフィアの女性としての感覚と言ったらいいのでしょうか。
それは、「女性は、男性から女性への暴力を、絶対に許さない」、ということです。
私たちの破局は、私のプリシラへの暴力、エルヴィス・プレスリーの暴力によって、もたらされました。
まず第1、結婚する前。
プリシラとエルヴィスは、三日三晩ベッドにこもりきり、ポラロイドカメラを道具にラブとセックスとエロで遊びました。
枕投げをして遊んでいるときに、私が力を入れすぎ、プリシラに痛い思いをさせました。
プリシラは別室の閉じこもり出てきませんでした。私はあやまり、その場は納まりましたが、プリシラもソフィアも私の暴力を忘れはしませんでした。
第2、1963年ごろのことです。新しいレコーディングが気に入らなかった、みんなの評判もよくなかった、
落ち込んだ私は、助けを求めるように、プリシラに感想を聞きました。
「好きじゃない。魅力がない」。
私は椅子を、プリシラに向かって、投げつけました。
第3、1970年代ラスベガスの頃です。
コンサートに疲れきり、自分を失いそうになりかけていた私は、部屋にプリシラを呼び寄せ、強引にセックスをしようとしました。
「これが本当の男のやり方だ」。
プリシラもソフィアも、私の暴力的な振る舞いを、許してくれませんでした。
本にも、映画にも、暴力をふるったエルヴィスがしっかり描かれています。
ナイアガラ道場のみなさん、みなさんは紳士ですから、あり得ないと思いますが、
女性へ暴力をふるった男性は、どんな親しい間柄でも絶対に許されない、このことを心に刻んでください。
♬Love me Tender♬
2、カムバック・スペシャルとラスベガス
私は1962年から69年、映画と歌の作品に恵まれませんでした。
新作に脚本が届けられるたびに怒っていました。
ビーチ&ビキニ、思い出すのもいや、下らない映画に出過ぎました。
それでも、初めの頃は映画も歌も売れていました、それがいけませんでした。
エルヴィスといえば、1968年のTVでの「Come back Special」そして「ラスベガス公演」が、華々しい業績として歴史に残っていますが、
プリシラもソフィアも、このころの私のバフォーマンスを全く無視しています。
先日、天国で1968年の黒革のジャケット着た私のパフォーマンスをヴィデオで見ました。
正気のない疲れ切った私の表情はとてもロックンローラーとはいえません。
ソフィアは正直です。「ラスベガスの公演」をたったのワンカットで、しかも後ろ姿だけで表現しています。
「ロックンローラーの終わり」を知っていた二人は正しいのです。
ロックンローラーとしてのエルヴィス・プレスリーの本質は何であったのでしょうか。
その第1、エルヴィスはロックの歌唱法を発明しました。
ヒーカップ(声をひっくり返す)、マンブリン(どもるように歌う)、シャウト(叫ぶ)、ファルセット(裏声)、クルーナー(甘い声)、ベルカント(オペラ)を総合し、エルヴィスは新しい歌唱法を発明しました。
これは母のグラディス・プレスリーのおかげです。私は、教会、ゴスベル、ダンスで、ロックの天才教育を受けていました。
第2、エルヴィスは若者として社会に反乱する革命を起こしました。
親や教師に反発し、バイク、革ジャン、ジーンズ、ヘアスタイル、若者ファッションを発明し、レコードとラジオで若者マーケットを誕生させました。
これはジェームス・ディーンのおかげです。
映画『理由なき犯行』の台詞を覚えました。ジェームスの突然の死で、その代わりになって映画の主役を演じました。
第3、エルヴィスは音楽で人種差別をなくしました。
エルヴィスは黒人向けの放送局から、黒人のように歌う白人として登場しました。
レイス・ミュージック(黒人音楽)を終わらせ、リズム&ブルースを誕生させました。
ソニーのトランジスタ・ラジオで、音楽は家庭を抜け出し、いつでもどこでもだれとでも楽しめるものになりました。
では原点に帰って、入隊前のロックンローラー・エルヴィス・プレスリー最後の歌を、お聞きいただきます。
能書きは、へ理屈はやめておきましょう。
エルヴィスの歌手として魅力は、低音から高音までよく響き、蒼空に突き刺さるように伸びる声です。
そして一番の才能は、だれも当たり前すぎて議論しませんが、乱れぬ音程です。さらに誰もが指摘する抜群のリズム感があります。
この私を発見したのは、サム・フィリップスと女性秘書のマリオン・オイスカーです。レコーディングのチャンスを与えてくれました。
ではロックの真髄をお聞きください。この曲はエルヴィス自身のおすすめします。
プリシラに出会う1959年の直前、1958年の録音です。
♬思い出の指輪 ♬
3、不滅のロックンローラー
1959年プリシラに出会ったころ、「ロックンローラー・エルヴィス・プレスリーは終わっていた」
をテーマにお話ししてきました。
そしていま天国でさまざまミュージシャンに出会い思います。
天国で一緒に、映画『プリシラ』を見た、ジョン・レノンが言いました。
1963年ビートルズがアメリカを占領した時、エルヴィスは何をしていたの。なぜビートルズとやらなかったの、と聞かれました。
一緒に映画を見たオーティス・レディングも言いました。
1967年モンタレー・ポップ・フェスティバルになぜ来なかったの。一緒に歌えばよかったのに、誘われました。
さらに一緒に映画を見た、ジミ・ヘンドリックスも言いました。
1969年のウッド・ストックで、エルヴィスが歌うべき曲あったのではないか。ぼくは喜んでギターを弾いたよ。
そして今思います。
徴兵に応じなければ、徴兵カードを破り捨てていれば、ドイツではなく、国家反逆で監獄に行っていれば・・・、
私には、エルヴィスには、不滅のロックンローラーとしての道があったはずです。
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ナイアガラ道場のみなさん、長い間お付き合いいただきありがとうございました。
Mr.Eiichi Ohtaki Thank you so much.
See you everybody someday somewhere somehow.
End