パルマを見ませんか。

コンテンツ・ビジネス塾「パルマ」(2007-28)7/17塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

○Verbalization(言語化)とVisualization(視覚化)
企画、コンセプト、ストーリーボード(絵コンテ)、アイディア・・・企画を考えるとは言葉で考えることです。よく創造的に芸術的に映像的に考えろ、とわけの分からないことを聞きますが、それはクリエーティブな仕事をやったことのない人の発言です。
広告でも映画でも、企画は言葉からです。たとえば日本映画の巨匠・小津安二郎を見ればわかります。彼にはシナリオの野田高悟がいました。小津の映画づくりは、小津VS野田だけの3ヶ月の密室のバトルから始まります。言葉だけで映画(シナリオ)を作っていくのです。映像は言葉の後にやってきます。言葉をもとにしたVisualization(ヴィジュアライゼーション・視覚化)です。広告ではコピー(言葉)をもとにデザイナーの仕事が始まります。映画ではシナリオをもとに撮影がされます。
では、はじめに言葉ありきの言葉はどこから生まれるか。詩、エッセイ、小説、論文、新聞、雑誌などの言葉のデータベースから、新しい組み合わせとなって生まれる、これが原則です。しかしクリエーターをやってると面白いことに気がつきます。写真、絵画、雑誌をパラパラやりながら考えていることが多いのです。つまり映像から言葉が生まれてきているのです。あまり聞かない言葉ですが、映像をもとにしたVerbalization(ヴァーバライゼーション・言語化)で企画が生まれているのです。
言葉は、言葉のデータベースから生まれるのですが、これはあくまでも原則。「生きのいい言葉」は、絵画、映像、感動、体験のヴァーバライゼーション(言語化)から、生まれるのです。ですから読むこと以外に、絵画・写真・映像に全身を浸しておくことが、いい企画・いい言葉には必要になります。
パルマ派(PARMA)
上野の国立西洋美術館に行きましょう。16世紀のイタリア旅行ができます。新しい絵画の発見に立会えます。「パルマ(イタリア美術、もうひとつの都)」展(2007.5.29~8.26)です。
展覧会の内容はタイトル通りです。イタリア美術といえば、ミラノのダヴィンチ、ヴェネチアのティティアーノ、ローマのミケランジェロでした。そこにイタリア北部の都市・パルマが「もうひとつの都」として加わることになったのです。なぜ「パルマ」が加わることになったのか、それはイタリア美術史、いや世界の美術史を書き変えなければならなくなったからです。
いままで、美術史はダヴィンチに代表される14~15世紀のルネサンスレンブラント、ベラスケスなどの17~18世紀のバロックの順序で語れてきました。今回のパルマ展の趣旨は、その間を埋めるものとしての15~17世紀のパルマ派の画家たちの仕事にスポットを当てようというものです。
まず、コレッジョ(1489?~1543?)がいます。残念ながら彼の代表作「聖母被昇天」は展示されていません(絵は会場のビデオで紹介)。なぜなら、それはパルマ大聖堂の中に描かれているものだからです。幾重もの雲の彼方に広がる光に満ちた天上、聖母はそこに向かって行きます。聖人、合唱天使、奏楽天使、そして使徒たちが見送ります。遠近法を超えた魅惑の世界。コレッジョは、聖書の言葉にある天上のヴィジュアライゼーションに成功しているのです。
そして最後には、スケドーニ(1578~1615)がいます。代表作の「キリストの墓の前のマリアたち」は、新約聖書「マルコによる福音書」「マタイによる福音書」のヴィジュアライゼーション、イエスの復活を描いたのです。画面左に上半身裸で白い衣装のイエス、画面右には復活に驚く3人の婦人。その衣装がすごい。黄、緑、赤、それぞれ彩度を落とし濁らせています。まるでファッションイラストです。
ルネサンスが調和・均整なら、バロックは劇的・装飾だといわれます。コレッジョ、スケドーニの「パルマ派」は、たしかにルネサンスを飛び出しています。
パルマ
ミラノとボローニャを結ぶ中間点にパルマはあります。現在の人口は約17万人、しかしコレッジョの頃はわずか16000人。パルマは、チーズのパルミジャーノ、生ハムのプロシュートで有名です。そしてサッカーの中田英寿パルマFCACパルマ)です。音楽のトスカニーニ、映画のベルトリッチもパルマです。小都市から天才作家をつぎつぎに送り出すイタリア、サッカーのやり方は多少汚いにしても、やはりリスペクトに値します。「生きのいい言葉」の泉になります。