コンテンツ・ビジネス塾「坂本龍一」(2009-18) 5/29塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながる
ヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、「OUT OF NOISE」
ニューヨークに住み、世界で活躍している日本の音楽家、坂本龍一のニューアルバム「OUT OF NOISE」が話題になっています。
無理を承知で、12曲60分を要約すれば、1)光が降り注ぐ水の惑星誕生 2)破壊者としての人類登場 3)人類がもたらした廃墟。沈黙する自然 4)人類の再出発。壮大な地球の叙事詩です。
坂本のよき理解者である編集者の見城徹は、「<世界>のなかで、どう生き、そして死ぬのか。その答えがここにある。」と、言いました(『ユリイカ』(総特集坂本龍一)4月臨時増刊号 青土社)。
坂本(1952年生まれ)は、1978年に細野晴臣、高橋幸宏と結成した「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」により、日本のスターになり、世界にも知られる存在になります。
やがて坂本は映画音楽に挑戦します(出演もしました)。まず日本を代表する映画監督・大島渚「戦場のメリークリスマス」。そして、イタリアのベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー作曲賞を受賞し(1988年)、世界の坂本になリます。
2、音楽の現在
坂本は、音楽を革新し、新しい音楽に挑戦する音楽家です。 最新の音楽界の話題を紹介します。
1)「曲」、「アルバム」の消滅。
音楽をネットワークからダウンロードする時代になり、一曲、一つのアルバムという概念がなくなってきました。たとえば「B面の3曲目」という言い方は遠いむかしのものになります。作曲・演奏のコラボレーションは、ファイルの交換で行われます。演奏家は時間・場所に拘束されなくなりました。
2)音楽の「始まり」と「終わり」の消滅。
「ABAC」の歌謡形式の終わりです。大きく言うと、ユダヤ・キリスト教的な世界観の終わりです。創世記があって最後の審判がある。始まりがあって、終わりがある、のではありません。音楽は無限に続きます。アフリカ音楽のように、食事の時間がきたら止めるのです。
3)アカデミズム(保守的伝統的な学問)の消滅。
音楽の最前線は、現代音楽と呼ばれる分野の芸術家・音楽学者によって革新されている、と信じられていました。しかしアカデミズムは、新しいものを何も生み出すとはできませんでした。ハウス、テクノ、ラップ・・・クラブ・ミュージックの挑戦のほうが可能性があるのです(前出『ユリイカ』)。
3、クリエーターの作り方
坂本の父は書籍作りの編集者、母は帽子のデザイナー。教養のある家庭ですが、天才が生まれる音楽一家ではありません。世界の坂本がどのようにして誕生したのかを考えてみます。
1)小・中学校時代。ピアノを始めたのは3歳、作曲は10歳。神童の伝説はありません。普通です。
2)新宿高校。高校に入ると坂本は突然輝き始めます。
まず、高校の先輩、作曲家・池辺普一郎と知り合います。「どんな曲作っているの」と聞かれ、ピアノに向かいます。池辺が言いました。「いまでも、芸大の作曲科に合格できるよ」。高1のときでした。
その2。上級生の女性に愛されます。彼女はその後自殺します。仏さまになる人に愛されたのです。
その3。学生運動のリーダーになり、制服廃止、試験廃止、通信簿廃止を学校に認めさせます。
3)東京芸術大学。大学に4年、大学院に3年、坂本は東京芸大に在籍しました。しかし授業に出たのは大学4年のときだけ、それも単位取りのためのドイツ語の授業です。大学院では3年のときに出て行ってくれと頼まれ、一曲書いて修士修了となりました。その曲はその後、テレビ番組「題名のない音楽会」で初演されるほどの立派な作品でした(『音楽は自由にする』坂本龍一 新潮社)。
授業に出ないで何をしていたか。友だちつかまえて、喫茶店でおしゃべりをし、ロックコンサート、現代音楽、前衛演劇、ゴダールの映画、ヤクザ映画を見ていました。あとは、酒場とホテルのピアノ弾き、フォーク・ロック音楽のアレンジ・演奏の仕事です(『二十歳のころ』立花隆ほか 新潮社)。
坂本は、大学は役に立たなかった、と断言します。そもそも学校がクリエーターを育成できるのでしょうか。クリエーターは自ら才能を育て、ある日先輩の才能に、その才能を発見されるのです。