クリエーターとは「命」をもてあそぶ仕事です。

コンテンツ・ビジネス塾「表現と死」(2009-39) 11/3 塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、加藤和彦(1947~2009)
「あの素晴しい愛をもう一度」(作詞:北山修)を作曲した加藤和彦さんが、10/16に軽井沢のホテルで、首つり自殺をしました。長身で育ちのいい加藤さんの一生は、女性とともにありました。
1)独身時代。「ザ・フォーク・クルセダーズ」の『帰ってきたヨッパライ』でスターに。2)福井光子(ミカ)の時代。「サディスティック・ミカ・バンド」の活躍が始まります。3)安井かずみの時代。作詞家・安井かずみさんとのコラボレーションで最高傑作を世に送り出します。バハマとマイアミで録音した「パパ・ヘミングウェイ」(1989年)、ベルリンで録音した「うたかたのオペラ」(1990年)、パリで録音した「ベル・エキセントリック」(1991年)のヨーロッパ三部作です
? dancing & laughing , endless night . golds & diamonds , sleepless night . ?(踊り続け笑い転げ、世があけるまで。黄金とダイヤで、ときめく今宵。「ロスチャイルド夫人のスキャンダル」アルバム『ベル・エキセントリック』より)。ポピュラー音楽にはあり得ない、唯美的で耽美的な楽曲が並びます。4)中丸三千絵の時代。オペラ歌手の中丸さんは加藤さんの死に触れ、こうコメントしました。「あんな優しい男性は世界中を探してもいません」。
才能にあふれモテモテでお金に困らない加藤さんなのに、なぜ自殺をしたのでしょうか。音楽が書けなくなったからです。「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」(遺書の一部より。サンケイスポーツ10/20)。
2、尾崎豊(1965~1992)
もうひとり音楽を作れなくなって26歳で、自殺同然に死んだ男がいます。「I love you」の尾崎豊です。尾崎の活動は、17歳から10年に満たないものですが、その天才と死の秘密を、今をときめく編集者の見城徹幻冬社社長)が証言しています。
1)尾崎はスタジオの中で暴れ回り、バックミュージシャンと大喧嘩し、いきなり自動販売機に殴りかかり、拳を血だらけにしていた。2)尾崎は、プロデューサー・見城の愛情を独り占めしようとした。が、尾崎は猛烈に自分勝手、ワガママ。すべてのスタッフが彼を見限り、そして見城とも別れ、ひとりで死んでいく。3)尾崎は、花鳥風月に関して敏感だった。その詩は、現代詩を代表する吉本隆明谷川雁の詩と較べても遜色ないものだった(『編集者という病』見城徹 集英社文庫)。
3、表現と死
なにも音楽だけが人生ではない。こうしたアドバイスは、音楽家、作家、芸術家、クリエーターには無意味です。なぜなら、表現とは命と引き換えにするものだからです。
表現は、頭(大脳・前頭葉)だけで作ることができません。わがまま(大脳辺縁系)と、本能(脳幹)から生まれます。ですから、作れないは、死ぬに直結しています。表現できなくなったら、そこには死しかありません。日本を代表する文学者、芥川龍之介太宰治三島由紀夫川端康成江藤淳・・・みんな自殺しています。理由はかんたんです。書けなくなったからです。
自殺を賛美しているのではありません。私たちも気をつけなければいけないからです。いまビジネスの世界では、クリエーティブ(表現)や創造性が礼賛されています。表現とは命と引き換えに行われるものであることを知らないままに。さらには、映画、アニメ、写真、デザイナー、スタイリスト、ヘア&メイク、イラストレーター、ウェブ・CGアーティスト・・クリエーターの仕事が増えています。
もちろん、クリエーターが死から逃れる方法は、あります。
第一は、プロデューサー(編集者)です。加藤和彦は精神的なサポーターを求めていました。
第二は、コラボレーション(共作)です。たとえば、尾崎豊作詞、矢沢永吉作曲への挑戦です。
第三は、虚(fiction)と実(fact)のバランスです。尾崎豊中島みゆき松任谷由実ユーミン)に学ぶべきでした。中島は、空から哀れな自分を見つめました。ユーミンは自分をセピア色の過去の存在にしました。そうして二人は二人とも、ぎりぎりのところで、死から逃れることに成功しています。
「生きていることに罪を感じることなく生きる人々よ。 お前はこの世のテロリスト。 俺を育てたテロリスト」(「IDENTIFICATION 銃声の証明」尾崎豊 アルバム『BIRTH 誕生』から)。