クリエーティブ・ビジネス塾16「新学期」(2015.4.15)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、私語
大学、専門学校へ進学されたみなさん、おめでとうございます。高等教育の目的は、専門教育と教養教育です。専門とは、医学や経済学、理容や美容などの専門知識と専門技術を身につけることです。教養とは、自分の生き方を主張できるように、国際社会で日本人としての自覚を持てるようになることです。
ところがそんな目的や理想と関係なしに、高等教育の経験者は、「私語」、学生たちの授業中のおしゃべりを必ず話題にします。なぜ、いつから日本の学生は授業中におしゃべりをするようになったのでしょう。長年、小学校の先生をしてきた元教員の衝撃的な発言を聞いたことがあります。「いまの先生は、生徒のご機嫌をとることがあってっも、叱ることはしない」。授業中のおしゃべりが習慣になっていませんか。
ある専門学校での出来事です。教室の後ろのほうでおしゃべりをしていたふたりの男子学生(日本人)がいました。ところが、その男子学生を韓国人と中国人のふたりの女子学生が、後ろを振り向きざま、にらみつけ黙らせたのです。教師の私はホッとしましたが、恥ずかしくなりました。いつから、日本人は恥ずかしい国民になってしまったのでしょうか(私語は学校だけではない。大人の集まりでもある)。
日本の教育と中国・韓国のそれとの最大の違いは、日本の教育が、日本人の誇り、日本国への忠誠を教えていないことです。中国では、愛国主義、集団主義、社会主義教育(教育法第6条)、韓国では他人と社会のために生きる「弘益(ほんいく)人間」を育てています。日本は、「個人の尊厳を大切にし、真理と平和を求める人間」を育てる(占領軍の教育基本法)。その結果、国家、国旗、皇室を軽んじ、公(おおやけ)を無視する人間が育った。それが私語をする、おしゃべり人間を生み出したと考えられます。
2、仕事
この授業では、「コミュニケーション」という言葉を軸に、仕事(ビジネス)のやり方、国際的のコミュニケーションのルール、クリエーター(表現者、芸術家)の発想法を学びます。
まずビジネス・コミュニケーションでは、日本の企業家精神を学びます。日本には200年以上の歴史を持つ企業が3000社以上もあります。驚異的な数字です。それは「世のため人のため」の日本の優れた企業理念があるからです。つぎにグローバル・コミュニケーションでは、国際ビジネスの共通語である、MBA(Master of Business Administration =経営学修士)を学びます。「コミュニケーション」はMBAによって、世界の教養として確立されました。日本人は身内のコミュニケーションで甘やかされています。それが私語の原因にもなっています。コミュニケーションの国際ルールを学びます。そして、クリエーティブ・コミュニケーション。どうやって発想するか、言葉、音楽、ヴィジュアル、映像による表現の仕方、創ること、クリエーターの世界を学びます。以上をまとめると、買う人ではなく売る人、受け手ではなく送り手、消費者ではなく生産者、になることを学びます。生涯学習のスタート、終わりのない学びの出発です。
3、創造
経験したことのない表現と創造の授業がはじまります。自作、自演、自省。創って、発表して、拍手を浴びる。ノートを取って、覚えて、試験でいい点を取る、知識を伝達する授業ではありません。あなたが何を作れるか、あなたの中の才能を発見するのが目的です。だから自学、自由、自律です。自分で必要なことをノートに書きとめ、自由に掟や規則を破って発想して、自分で自分を律する授業が始まります。
私語は問題外。授業中に会議をやります。おしゃべりに限って、いざ会議となると発言できない。そしておしゃべりに意見を求めると、たいていが「わたし、あれ、きらい!」と偉そうに答えます。きらい!は意見でもなんでもない。さらに、大人の罪、企業の悪、あれはひどい、これはギモン、批判ばかりの評論家もいらない。
表現する人間は違う。「私なら具体的にこう創る」、「私が好きなのはあの作品」、と愛を告白できます。創ることはとても恥ずかしい。発明はとても勇気がいる。自分の感覚を売り物にする。そのことを学びます。
最後に、クリエーターはどこで学ぶか。ストリートです。表現はインップットがなければ生まれません。ネタを仕入れるのは、本でも雑誌でテレビでもネットでもありません。街に出て店を見る、映画を見る、ライブを見る、イベントに行く、そして・・・人を見る。あなたがただ一人が感じたこと、見たこと、会った人が、表現のネタになり、あなたの個性になります。本を捨て、学校を出て、街で学んでください。
「諸君、私語を止めなければ、日本は終わる」、そして「諸君、学ぶために、街で遊ぼう」。