カネ儲けが悪いは、江戸時代からの伝統です。

コンテンツ・ビジネス塾「渋沢栄一?」(2011-13) 4/12塾長・大沢達男
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1、商人
日本では金儲けは悪いこととされています。そもそも商売をやる商人は、官僚、学者、医者よりワンランク下の人間と思われています。
原因ははっきりしています。大学の経済学部と商学部のどちらの入試がむずかしいか。だいたい経済学部のほうが難関、商学部は下、商業は甘く見られています。そもそも東京大学京都大学に経済学部はあっても商学部はありません。商業など大学で学ぶに値しないと考えているからです。
商業蔑視は江戸時代からの伝統です。渋沢はそのことをずばりと見破りました。
「日本の儒学朱子学は(中略)本質的に金銭を蔑視する傾向が強かった(中略)徳川の武士階級は金銭に携わる農工商の階級をさげすみ、逆に、自らの階級を金銭に関わりがないゆえに尊いものとし(後略)」(『渋沢栄一?算盤編』P.275 鹿島茂 文芸春秋』)とし、さらに金銭への軽蔑と執着が、「官」と「民」を分けるものとなり、「武士は食わねど高楊枝」の「官」の精神が、商人と商業をバカにしてきたと指摘します。
2、論語
ドラッカーが世界初と評価した渋沢「マネジメント」の第1のエンジンは論語です。蔑(さげす)まされてきた金銭、商売、商人に光を当て、そこに「論語」という道徳を結びつけたところにあります。
論語で商売をできまいかと考えた。そして論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができると考えた」(『論語と算盤』P.31~32 渋沢栄一 角川ソフィア文庫)。
論語とは、中国春秋時代の学者、孔子の言行録です。渋沢は面白い。論語がバイブルの儒学が否定した商売を、儒学者論語を読み違えている、論語武装できるいうのですから。
1)「真正の利殖(経済活動)は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」(前掲 P.124)。決して利益を少なくするのではない。思いやりを持って世の中の利益を考えることだ。
2)「論語と算盤は一致すべきものである」(前掲 P.137)
金銭を賎しむ風習もあるが、富は正当な活動で得られるものである。
3)「武士道は即ち実業道である」(前掲 P.245)
武士道は学者や武士だけのものではない。商工業者にも通用する。
渋沢は埼玉県で農業と藍(あい)の商売をする家に生まれます。父は「より多くの努力を払ってより良い品物をつくり出し、それによって利益を得るならば、これは決して疚しい(やましい)ものではなく、むしろ、他人のためにも自分のためにもなり、人倫にかなうものだ」(『渋沢栄一?算盤編』P.33)と考える、のちに息子の栄一が書くことになる『論語と算盤』を実践しているような人でした。
3、サン・シモン主義
渋沢「マネジメント」の第2のエンジンは、フランスで学んだ「サン・シモン主義」です。
江戸時代の渋沢は倒幕を目指す尊王攘夷論者でした。ところが水戸藩出身であったことから最後の将軍徳川慶喜に使えるようになります。そしてパリの万国博を見学する将軍の弟、徳川昭武のお供として、大政奉還(1867)の年にフランスを訪れることになります。
サン・シモン主義は、封建者階級から産業者階級への社会変動を主張し、フランスのみならずヨーロッパ社会に影響を与え、鉄道、運河、銀行、ガス灯、水道・・・諸企業を誕生させ、産業革命を推進しました(『世界の名著 オーエン、サン・シモン、フーリエ』「産業者の教理問答」坂本慶一)。
サン・シモン主義にはもうひとつ主張があります。単なる生産力至上主義社会ではなく、「新キリスト教」に支えられた高度な道徳的で倫理的社会の実現です(前掲 坂本慶一 P.91~92)。渋沢はキリスト教ではなく儒教を選びました。フランスから帰国した渋沢は、第一国立銀行を手始めに500~600企業と組織を設立し、日本を産業社会にしました。
渋沢「マネジメント」は、第一のエンジン「論語」から倫理と道徳、企業の公益性を学び、第二のエンジン「サン・シモン主義」から資金調達、人材育成、イノベーション、顧客の創造を学びました。
ドラッカーが世界初と評価した渋沢「マネジメント」は、日本と中国とフランスの合作でした。