クリエーティブ・ビジネス塾43「鏑木清方」(2014.10.21)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、『襟おしろい』
千葉市美術館で9月9日から10月19日まで「鏑木清方(かぶらききよかた)と江戸の風情」展が開かれました。東京の美術館、横浜の美術館に負けずに、千葉はときどき見逃せない美術展を開催します。今回も明治から昭和まで活躍した美人画家・鏑木清方(1878~1972)を取り上げました。思わず足を、美術館のスタッフに拍手を贈ります。
『襟おしろい』(1923 T.13)が今回の目玉のひとつ。黒を着た色白の女性が、首筋を突き出すようにして、左下に虚ろな視線を送っています。首筋はひときわ白くおしろいが塗られています。媚(こ)びて、男を誘っています。展覧会のテーマは「清方と江戸」ですが、鏑木清方は上村松園(1875~1949)、伊東深水(1898~1972)と並び称される美人画家として美術史に名を連ねています。この作品も美人画のひとつといわれています。しかし、流し目をして、首を突き出しているような女性が美しいでしょうか。かつて小説家の三島由紀夫は篠山紀信の写真を評して、女性がこちらに視線を送っているから好きだ(カメラ目線)、と言いました。流し目の女性は下品、そう、『襟おしろい』を好きになれません。
2、『春雪』
美人画家と呼ばれることを否定したのは、他でもない、鏑木清方本人でした。「美人画は要(い)るが、美人画家は要らない」(『現代日本画美人画全集 第2巻 鏑木清方』p.95 集英社)。さらに美人画はない、すべては人物画であると、清方は言い切りました。美人とは「顔・姿の美しい女」。美しいとは「形・色・声などが快く、このましい」、「行動や心がけが立派で、心を打つ」(広辞苑)。美人とは美しい人物のことです。媚態(びたい)を演じ、男にこびへつらい、とり入ろうとするような女は醜い。
今回のもうひとつの目玉、『春雪』(1946 S.21)では、藤色の着物を着た女性が、外出から雪に降られ帰ってきた主人の羽織を、じっと見つめています。『襟おしろい』と同じように、女性は左下に視線を送っています。しかしこの目線の意味は違う。女性は明らかに雪の中を帰ってきた夫を気遣っています。仕事はうまくいったのか。仲間との諍(いさか)いはなかったか。夫を思いやる姿は美しい。おなじく昭和になって描かれた『虫の音』(1947 S.22)もおなじです。庭に座り、左下にしっかりとした視線を送る女は、秋の音楽、風流を楽しんでいます。
3、『一葉』(『一葉女史の墓』、『一葉』は展示作品ではない)
清方は明治の小説家と親交がありました。なかでも樋口一葉は別格。文章を暗唱するほど傾倒していました。鏑木清方は、一葉に始まり一葉で終わる、とまで言われています(「美人画家としての鏑木清方)福永重樹 前掲p.95)。始まりとは、『一葉女史の墓』(1902 M.35)です。小説『たけくらべ』の主人公・美登利が、一葉の墓石にしなだれかかるように寄り添っている絵です。『たけくらべ』は東京の下町での、少年少女のグループの対立を描いた作品です(かっこいい。まるで米映画『ウエストサイドストーリー』)。美登利は自分が所属するグループのアイドルでありながら、対立すグループのリーダーとも仲がよい、下町のヴィーナス(女神)でした。
「色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締まりたれば醜くからず。一つ一つに取りたてては美人の鑑には遠けれど、物いふ声の細く清(すず)しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなし活々(いきいき)したるは快(こころよ)き物なり」(『樋口一葉集』p.232 近代日本文学大系 角川書店)。
墓石に身を寄せる美登利は、セクシーを超えてちょっとエロ。しかし視線はしっかりとこちらへ(奇跡!)。清方が美人ではなく人物を描こうとしている気迫が伝わってきます。
そしてエンディングは『一葉』(1940 S.15)。キリリ引き締まった顔の小説家が、鋭い目つきで未来永劫と世界の果てを見つめています。これを美人画と言う者はいない。清方は樋口一葉を描き切りました。鏑木清方は、女を嬲(なぶ)りものし、女性をからかい、もてあそんだ、美人画家ではありません。正面から女性と対決し人間を描いた芸術家でした。
(河合正朝館長の「館長のつれづれだより〜美術館の主役は、あなたです〜」の文章はひどい。市民の媚(こび)を売ったつもりが、行政の上から目線の文章になってしまい、下品)。