やっぱり監督は、コッポラです。

クリエーティブ・ビジネス塾35「コッポラ」(2012.9.10)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、3大映画監督
スターウォーズ』のルーカス、『ジョーズ』のスピルバーグ、『ゴッドファーザー」のコッポラ。アメリカの3大映画監督のうち、だれがいちばんお気に入りですか。3人がアメリカと世界の映画の歴史を動かし始めて50年近く、「誰が好き?」の質問が繰り返されてきました。
ズバリ答えます。コッポラが好きです。コッポラがいちばん優れた監督だと思います。
なぜか?それはコッポラが映画とは何かを問い、作るとは何かを問う監督だからです。
誤解を招くと困るので、あえて断っておきますが、ルーカス、スピルバーグはキライ、ふたりはダメと言っているのではありません。ふたりの魅力はそれぞれ、コッポラとは違うところにあります。
2、『ヴァージニア』
コッポラは97年から10年間映画をやめていました。その後復活し、『コッポラの胡蝶の夢』(07)、『テトロ過去を殺した男』(09)に続き、今回『ヴァージニア』(11)を作りました。映画製作開始にあたり、コッポラは1)オリジナルストーリー、2)個人的要素、3)自己資金の3つのルールを作りました。つまり映画表現に挑戦することを、改めて宣言しました。
映画『バージニア』はミステリー仕立て作品です。ある小説家の創作の苦しみを描いています。クリエーターにとって、興味津々のシーンを紹介します。
第1。小説家はある街を訪れ、自作の店頭販売をします。小さな街で、本屋はありませんでした。そこでスーパーの店先で小説を売ります。
「これをキミが書いたのか?」、「はい!・・・」、「ぼくも小説を書くのが好きでさ・・・」
自作を並べて、自分の宣伝して、自分で販売する。芸術家がそんなことをしますか。なんとも恥ずかしい。でもこれがクリエーターの仕事の本質です。売れなければ芸術ではない。
第2。ある殺人事件が起き、小説家が関心を寄せます。保安官は事件のあらましを小説家に説明します。しかし保安官もミステリー小説の愛好家、小説家に話しかけます。
「俺も小説を書きたいんだ。この事件をネタにして、ふたりで小説を書かないか?共著だよ。」
いまは仕事をしているが、いつか小説を書いてみたい。だれもが持っている芸術表現への夢があります。モノを作りたい。保安官の情熱が痛いほどわかります。
第3。小説家は、都会にいる編集者に新作のネタを話し、前借りのカネを送ってもらいます。
「霧が深い湖だけは止めてくれよ。うんざりだよ」(編集者)「・・・・・・」(小説家)
小説家は宿に戻り、小説のイントロを書き始めます。
「湖には深い霧が立ちこめていた・・・。霧の中に湖が現れた・・・」
霧と湖は小説家が欠かせない、シーンでした。いつのまにかクセになっていました。ウーム、創作はむずかしい。霧と湖で、映画の観客は笑いに包まれます。
作品売る苦しみ、作品のネタをさがす苦しみ、作品で新しい表現を生み出す苦しみ。これは小説だけではなく、映画を作る苦しみでもあります。「創る」苦しみです。
3、映画とは何か。
映画を作るとは何か?映画を発明することです。これが映画だと答えを出すことです。
コッポラは、『バージニア』で映画を発明しています。
1)コッポラは、映画で現実と夢の間を行ったり来たりします。現実も夢もリアリティのあるビジュアライゼーション(視覚化)に成功しています。映画は、現実と夢のカベを突き破ります。ともに事実です。
2)コッポラは、過去と現在を自由に行き来します。過去は事実として突きつけられ、現実と格闘します。映画は時間を越えます。映画は時間を操る、タイムマシンです。
3)コッポラは、音、騒音、物音、話し声、音楽と画像を自由に組み合わせます。映像は音声を加えることで、映画になります。映画とは、沈黙を含む音楽と映像を組み合わせることです。
結論。コッポラの映画は、見るものを映画製作へと、駆り立てます。僕も芸術しよう、その気にさせます。だからコッポラは好きな監督で、優れた監督です。