関西芸人vs車寅次郎

クリエーティブ・ビジネス塾15「車寅次郎」(2016.3.30)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、柴又
映画『男はつらいよ』の主人公、寅さんのふるさと葛飾・柴又は、とんでもないところにあります。たとえば、渋谷からだと、東京スカイツリーのある押上に行き、電車を乗り換え京成高砂に、さらに電車を乗り換え柴又へ、1時間近くかかります。東京の山の手側に住んでいる人間にとって、なじみがないところです。
小さな柴又の駅を降りると、駅前に等身大以上の寅さんの銅像が建っていて、観光客が写真と撮っています。そして2〜3分も歩くと、おなじみの寅さんの映画のセットが現れます。いや間違い。山田洋次監督が、映画撮影に使った柴又の商店街に到着します。
御手洗団子(みたらしだんご)を食べました。次の店でおそばも、そして別の店で天丼も。さらに帝釈天のお参りなお帰りに、御手洗団子とおでんも。完璧な柴又のはしごをしました。
いろんなものが売っていました。気になったのは、佃煮(つくだに)です。「あみ(の佃煮)」のいろんな講釈をされてイヤになってしまいました。ぼくは江戸っ子、小さい頃から貧しいわが家の食卓にはあみがありました。それに佃煮は「佃島(つくだじま)」のものです。柴又の田舎者にとやかく言われてくない。
人の情けが薄れたとは思いませんが、田舎者によって柴又は観光地にされています。
2、芸人
寅さんがなぜ面白いか、よしもとの芸人と比べてみると、その笑いの質の違いがはっきりとわかります。
昭和の初めに活躍したよしもとの落語家、桂春団治(1878~1934)がいます。お笑いで一世を風靡しただけではありません。芸人の生き方を自らやって示しました。その「芸人原則」は、いまもよしもとの芸人によって引き継がれ、生きています。
1、芸人は名をあげるためにはなんでもしろ。
2、芸人は借金をしろ。
3、芸人は衣裳に気を使え。
4、芸人は自分の金で酒を飲むな。
5、芸人は女を泣かせろ。
東京の寅さんはこの原則にすべてあべこべ、それで笑いを買っています。
1、寅さんは目立たないように柴又の地でひっそりと暮らしていきたいと思っています。
2、寅さんはその日暮らしです。金がないときには食べない。借金は潔し(いさぎよし)としません。
3、寅さんは衣裳を持っていません。質素に暮らしています。着たきりすずめです。
4、寅さんは大酒を飲みません。まして他人の金をあてにして、飲むようなことはしません。
5、寅さんは恋をします。しかしプラトニック。清く淡い恋です。
なぜここまで差ができるのか。それは寅さんと関西の芸人、東京人と関西人の価値観が違うからです。
a、東京人の目標は、末は博士か大臣か。関西人は、商売、極道、よしもか。
b、東京人は価値観は、正義、義理人情。関西人は損得。
c、東京人の生き方は、爽やかに美しく。関西人は受けるか受けないか。
3、山田洋次
映画『男はつらいよ』シリーズは、1969年〜1995年に全48作が制作され、全作の原作・脚本を山田洋次が担当、46作を監督。長編シリーズとしてギネスブックに登録されています。
しかしわからないものです。1969年松竹本社の試写室で試写行われたとき、試写室にいたのは映画雑誌の編集者がたったひとりでした。当時の1回きりの試写を見た編集者の証言です、間違いありません。
映画監督山田洋次は当時最難関といわれた松竹の入社試験を突破した秀才中の秀才です。だがしかし、同世代には、篠田正浩吉田喜重大島渚のキラ星のような俊英がいました。コメディ映画寅さんを撮るような山田洋次を映画ジャーナリズムはまったく無視していました。
あれから半世紀近く経ちました。当時の俊英たちは何処へやら、山田洋次の時代になってしまいました。クリエーターの世界は恐ろしい。何が傑作として後世に残るのか。神のみぞ知る。