なぜ?ドストエフスキーは小説の神さまなのか?

クリエーティブ・ビジネス塾24「カラマーゾフの兄弟①」(2017.6.12)塾長・大沢達男

「なぜ?ドストエフスキーは小説の神さまなのか?」

1、神
カラマーゾフの兄弟の父フョードルが息子のイワンとアリョーシャに訊きます。
フョードル「(前略)神さまはいるのかいないのか?(後略)」
イワン「いません、神さまなんていませんよ」
フョードル「アリョーシャ、神はいるのか」
アリョーシャ「神さまはいます」(p.359)
キリスト教1054年東方正教会(その一派がロシア正教会)と西方教会カトリック、プロてスタンド)に分離します。さらに正教会は、17世紀半ばに教会分裂します。独立した宗派を分離派(旧教徒派、古儀式派)さらに、異端派(鞭身派、去勢派、逃亡派)がありました。ドストエフスキーが関心を寄せたのは鞭身派、去勢派です。鞭身派は、風呂場を拠点に、文字通り、たがいに鞭やタオルで身体で打ちあうことで体内の悪霊を追い出し、聖霊を宿すことができると、考えました。去勢派は、性器を切断したり、焼きごてをあてたりする自罰的行為をとおして、神との一体性を求めました。ロシア正教に傾倒していたドストエフスキーは、分離派や異端派にロシア的な精神の根源を見ていました(『カラマーゾフの兄弟①』p.436~438読者ガイドより 亀山郁夫訳 光文社文庫)。
無教養で申し訳ない。なんのことか、さっぱりわかりません。つぎは次男イワンの話。これはよくわかる。
「つまり教会と国家という二つの別々の本質が混ざりあっている状態は、もちろん永遠に続くだろうという前提です。(中略)教会こそみずからのなかに国家全体を含むべきであって、国家のなかの一部分を占めるだけであってはならない」(p.160)
憲法より聖書です。悪名高い「アメリカファースト」のトランプ大統領の世界観は、米国憲法より「バイブルファースト」です。しかし一神教の戦いはやがて終わる。キリスト教を僕の小説のテーマとしては選べない。
2、デッサン力
まずカラマーゾフ家をとりこにする妖艶な美人を紹介します。グルーシェニカです。
<ひとことすばらしいとしかいいようのない、ゆたかに波うたせた栗色の髪や、テンのようにつややかな黒い眉毛、まつ毛の長い魅惑的で灰色がかった青い目をひと目見れば、たとえ人ごみや祭りや雑踏のなかで、どんなに無関心でぼんやりした男でさえ、必ずその前でおもわず足をとめ、いつまでも記憶にとどめるにちがいなかった><彼女はまるでこどものような目をして、子どものように何かを喜び、テーブルに近づいてくるときも「嬉しそう」だったが、それはまるで子どもみたいにがまんしきれず、好奇心まるだしで、今か今かとなにかを待ち受けているかのような風情だった。彼女のまなざしには、人の心をうきうきさせるなにかがあった(p.399~400)>
つぎにカラマーゾフ家の父親、フョードルを紹介します。
<つねに高慢で疑り深く、人を小ばかにしたような小さな目の下には、皮膚がたるんでだらりと垂れ下がり、小ぶりながらでっぷり太った顔には、長い皺がいくつも伸びていた。また尖った顎の下には、まるで銭入れのように大きい縦長の肉がぶら下がっていて、それがなにか汚らわしく、みだらな印象をそそった。さらに、分厚い唇をした好色そうな口が横に広がり、その中から黒いぼろぼろの歯のかけらが覗いていた。話しはじめると、きまって唾を飛ばした(p.57~58)>
ピカソのデッサン力です。ピカソ7歳の作品が残っています。天才に幼児画はありません。すでに作品です。
ドストエフスキーにも天才のデッサン力があります。人間観察、外からは見えない心の動きを正確に描いて見せる、ここにプロの小説家はいかれてしまうのでしょう。学ぶべき、パクるべきです。
3、オカルト
カラマーゾフの兄弟、長男のミーチャのセリフ。
「美か!おれががまんならないのは、別の最高の心と最高の知性をもった人間が、マドンナの理想から出発して、ソドムの理想で終わるってとこなんだな。(中略)理性には恥辱と思えるものが、心には紛れもない美と映るものなんだよ(p.287)」
ドストエフスキーはまずロゴス(神)を問います。つぎにパトスで人間を描きます。そしてエロスで世界の根源を見ます。オカルト(超自然、神秘)がある。やはり小説の神さまです。