映画『マルクス・エンゲルス』に集まった「善良な」団塊の世代たちへ

クリエーティブ・ビジネス塾22「マルクス・エンゲルス」(2018.5.28)塾長・大沢達男

映画『マルクス・エンゲルス』に集まった「善良な」団塊の世代たちへ。

1、映画『マルクス・エンゲルス
映画『マルクス・エンゲルス』を見に神田・神保町の岩波ホールに行きました。ウイークデイの午後1時半からの回、50~60人の入り、学生街なのに、若い人はゼロ、小綺麗なカッコの「団塊の世代」ばかりでした。
会場においてあった旅行案内のパンフレットに驚きました。「イギリスの産業革命と民主主義の歴史を学ぶ『マルクス・エンゲルスを訪ねる旅 8日間』」\369,000。ヘェー、マルクスは旅行用の商品名だ。絵画のピカソ、音楽のベートーベンのような、旅行ブランドになっているんだ。しかもその出費は約40万円。マルクスの映画に集まった団塊の世代をターゲットにしている、と映画より印象に残りました。
添乗員に案内された安全なヨーロッパ旅行をしながら、労働者階級と革命を論じ帰国して、したり顔で日本の「平和と民主主義」を語る、これがこの映画に集まった「団塊の世代」の本質だ、と思いました。
2、若きマルクス
映画はハイチのラウル・ペック監督が撮ったものです。「カール・マルクス生誕200年記念作品」となっていますが、多分あとづけの宣伝文句でしょう。映画の原題は『The Young Karl Marx』。若い時代のマルクスを描いたものです。
ドイツで初めての共産主義者の秘密結社である「正義者同盟」の集会で頭角を現すマルクス、当時圧倒的な影響力を持っていた無政府主義者プルードンと対決するマルクス、そしてエンゲルスとの出会い。1848年の『共産党宣言』を書くまでのマルクスが描かれます。
ドイツ語、フランス語、英語が使われるヨーロッパならでは映画です。私たちは日本語字幕が出るからいいのですが、ヨーロッパではどんな風に上映されるのでしょうか。疑問が、浮かんで消えます。
映画は全編、理屈をしゃべりまくりますから、退屈です。論理の映画です。目新しいのはマルクスのラブシーン。マルクスのセックスシーンがあります。マルクスの子供が誕生するシーンもあります。ヨーロッパのファッションは興味津々。ネクタイの代わりリボン帯をしています。マネしたくなる(ふざけていてはいけません)。
いちばんの注目は、イギリス労働者が働く製糸、紡績工場です。過酷な長時間労働が行われた現場。産業革命と資本主義の矛盾が描かれていることです。しかし迫力はない。現代の中国映画『苦い銭』のミシン工場のシーンの方がはるかに『資本論』が描いた労働者階級の悲惨を描いています。
映画は映画を発明していません。マルクスを発見してもいません。ハッとさせられたのエンディングで使われたボブ・ディランの『ライクアローリングスートン』だけです(またまたふざけて、すみません)。
3、団塊の世代
団塊の世代とは1947年(昭和22)から49年(昭和24)に生まれた人たちです。ベビーブーマーです。
若い頃は学生運動フォークソング、高齢化してから介護と年金で、いつも日本の中心問題となっています。団塊の世代は年間に270万人も生まれました。 その子どもたちも団塊の世代ジュニアといわれ、日本の中心になりました。ところが、団塊の世代ジュニアは、子どもを作りませんでした。そして日本の滅亡が始まりました(ちなみに2017年の出生数は94万、死亡数は134万人)。統計学は30世紀に日本民族は絶滅すると予測します。日本人は絶滅危惧種になっています。絶滅します。
なぜ日本民族は滅びるになってしまったのか。それは日本民族絶滅を目標にしたGHQ占領政策共産主義者の「天皇制ファッシズム」理論によってです。
ポツダム宣言日本民族の「絶滅」を狙っていないと書き、米軍戦時情報局員のルース・ベネディクト日本民族は「絶滅」させるべきものなのかと、その著『菊と刀』の冒頭に書きました。日本民族は、西欧社会の下層階級でも労働者階級でもない、奴隷あるいはそれ以下のものと、考えられていました。
GHQは、「日本国憲法」を与え、「東京裁判」を行い、でっちあげの「太平洋戦争史」で日本を言論統制しました。共産主義者の「天皇制ファッシズム」理論で日本民族の歴史と伝統を奪いました。
「平和と民主主義」というハメルーンの笛吹きの先導によって、日本民族集団自殺することになりました。
「私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びていまった国家があったということで充分ではないか」(『私の根本思想』p.98 山口瞳 新潮社)
ISに虐殺された後藤さん、湯川さん、北朝鮮へ拉致の横田めぐみさん。私は日本が好きな日本人です。