小説『業平』が好き、高樹のぶ子の不滅の仕事です。

TED TIMES 2020-46「小説『業平』」 7/27 編集長大沢達男

 

小説『業平』が好き、高樹のぶ子の不滅の仕事です。

 

1、色好み

<私は、飽かず哀し、の情を尊く存じます。叶わぬことへのひたすらな思いこそ、生在る限り、逃れること叶わぬ人の実情でありましょう>。<飽くまで求め、満ちるまで手に入れとうございます。(中略)恋情(こいなさけ)こそ、飽くことなどございませぬ。叶わぬゆえ歌に哀しみや趣きが生まれます>(『業平』p.432高樹のぶ子 日本経済新聞出版)。

業平は、体型に優れ、身のこなしがきれいな、アスリートのような人でした。教養はありませんでしたが、歌(和歌)はうまかった。

伊勢物語』は、『源氏物語』より先、10世紀に成立した考えられています。『源氏物語』が「もののあわれ」ならば、『伊勢物語』は「みやび」、平安の貴族たちに新しい生き方を提案しました。「みやび」とは「都振り」、「ひなび」の反対、田舎の否定、軽蔑です。最も「みやび」な心、それは恋です。「色好み」です。「色好み」とは好色だけではありません。「風流」です。美しいもの、心惹くものへの憧れです(『伊勢物語渡辺実校注 新潮社を参考にしました)。

<・・・・・・男の恋は二つの方向に向かうもの・・・・・・叶わぬ高みの御方への憧れと、弱き御方を父か兄のようにお護りしたい恋と・・・・・・いずれも叶うこと難く・・・・・・ゆえに飽くことも無し・・・・・・>(p.451)。

事実、業平は二つの大きな恋をしています。一つは高子(たかいこ)との恋。時の政治を思うままにしていた、藤原家の大切なお嬢さまのとりこになります。藤原家と在原家の権勢は月とスッポン。しかも敵、ロミオとジュリエット、宿敵の娘を愛しています。高子は、のちの清和天皇の妃なる人です。とんでもない不倫です。

もう一つは括子(やすこ)との恋。括子は、天皇に即位すべきように生まれながら、藤原氏の権勢により不遇にあった業平の親友の、妹でした。若くして出家したのにも拘らず、業平は言い寄ります。背徳です。

<崩し字の、連綿とした流れは、昨夜の恋に酔うままの業平にとりまして、まるで滑らかな陰(ほと)を思わすほどのやわらかさ>(p.225)

高子、括子、それぞれのプロットの中で、小説『業平』は、思わぬ展開を見せます。

2、政治

<業平・・・・・・明日、明後日にも、良からぬことが起きます>(p.60)。<ご謀反でございます>(p.62)。

小説『業平』はダイナミックです。『伊勢物語』にはないプロットが付け加えられています。

まず「承和の変(じょうわのへん 842年)」。藤原氏の陰謀、他氏排斥事件です。朝廷の側近である伴健岑(とものこわみね)と橘逸勢(たちばなのはやなり)が謀反を企てた罪で、それぞれ隠岐、伊豆に流罪にされます。53代淳和天皇恒貞親王は皇太子を廃されます。「みやび」どころではありません。血が騒ぎます。

<応天門が燃えております。火が放たれたと、>(p.367)。

さらに「応天門の変(おうてんもんのへん 866年)も小説には登場します。放火の罪で、判善男は伊豆に、伴中庸は隠岐に流されます。古代からの名家伴氏(大伴氏)は藤原氏により没落します。

<あのように快楽(けらく)に酔いておりますが、業平殿のみ、語りたき心地でありました。今宵、この南庭を見ながら、荒野を語ることが出来るのは、業平殿のみ・・・・・・さてさて、宴に戻りましょう>(p.312)

このように業平に心を許したのは嵯峨天皇の子供、源融でした。風流を解した「みやび」の人でした。源融は業平とともに「光源氏」のモデルと噂されている人です。

3、富士

<斎王ではなく、月の姫として、私の思いを受けていただきたい>(p.334)。<私は月へ戻ります>(p.347)。『竹取物語』で、かぐや姫は月に戻るときに不老不死の薬を、帝に捧げます。帝は、かぐや姫に逢えないのなら不死の薬はいらないと嘆き、天に近い駿河の国の山に行き燃やしてしまえ、と命じます。勅使は多人数の兵士を連れて山に登り薬を燃やします。それでその山を富士山(兵の多い山)と名付けた、とあります。

伊勢物語』での富士は、比叡山の20倍、夏でも雪のある、驚きの山、としてだけ描かれています。比叡の山が「みやび」、富士の山は「ひなび」でした。もちろん斎王が月に帰るは、小説『業平』の創造です。

<月やあらぬ春やむかしの春の春ならぬわが身ひとつはもとの身して>この歌は高子(たかいこ)との悲恋で読まれたもの、そしてその月にいまや括子(やすこ)も。月は業平の恋です。