杉本博司は、サピエンスを表現する、新しい日本人です。

TED TIMES 2020-49「杉本博司」 8/19 編集長大沢達男

 

杉本博司は、サピエンスを表現する、新しい日本人です。

 

1、ナショナリスト 

<私は下町の生まれで、元来江戸っ子を気取っている>。杉本博司の江戸っ子は本物です。父親が家業のかたわら、落語家を目指していて、幼少期は、人形町末広亭の楽屋で遊んでいました。うらやましい限りです。まあ、気の毒だったのかもしれません。ロクな子に育つわけはありませんから。古今亭志ん生三遊亭円生、そして三遊亭小金馬、講談師の一龍斎貞鳳、ものまねの江戸屋猫八をよく知っています。いいです。だから<私の作品には「落ち」がある>と言います。

江戸っ子はいいとしても、杉本博司は、世界的なアートティストなのに、右翼、ナショナリストです。もちろん批判しているのではありません。好意です。だからインターナショナルで成功しているんですが。

私の履歴書』(杉本博司 日本経済新聞 7/1~31)は、三島由紀夫の「仮面の告白」の有名な冒頭の引用から始まります。<私は自分が生まれたときの光景を見たことがある>。まあこれはいい。ヴィジュアル・アーティストなのだから。でも自分の娘に、三島由紀夫の小説「春の雪」の綾倉聡子から、「聡子」とつけたとなると、オイオイということになります。

さらに杉本が企画した能「巣鴨塚」は、大東亜戦争板垣征四郎大将の霊が主人公の話です。<春の便りは魔の便り、寂滅亡国の響きあり。国破れて山河あり、春の訪れ恐ろしや>。「春の訪れ」とは米国が日本に突きつけた最後通帳「ハル・ノート」のことです。板垣の霊は、春の便りが永遠にこないことを祈る、そして願い通り、日本は永遠の冬に閉ざされ、今日に至っている、という話です。帝も東條も石原も登場します。恐ろしく、悲しく、切ない、ではありませんか。杉本の戦争遺物のコレクションの中に、「Jap Hunting License」なるものがあります。「日本人狩猟許可証」。硫黄島の戦いで米軍が米軍兵士のために正式に発行したものです。さらに「TIME」誌の「神としての天皇」の記事。杉本は平和ボケの日本人に途方もない爆弾を投下します。

そして杉本博司の母方3代前の先祖には、尊王攘夷派の儒学者、菅野白華がいます。白華は安政の大獄で捕らえられ、5年の蟄居(ちっきょ)を命じられ、<天皇を懐(いただ)くこの国の安泰を願うばかりだ>という内容の漢詩を残し、その後、維新政府の外務省の役人になります。しかし51歳で病没、世界雄飛の夢は叶いませんでした。

杉本は日本で生まれましたが、その人生を海外で過ごしていますが、江戸っ子で、愛国的な日本人です。

2、ヒッピー 

杉本博司は1970年に立教大学を卒業。広告研究会、写真部で撮った写真をカリフォルニアのアートスクールに送り入学が許可されます。実力ですね。そしてロスアンゼルスへ、1年経って、世界放浪の旅へ。ロスに戻り、ヒッピーになります。「悟り」のために東洋哲学を学び、カウンターカルチャーミニマリズム、コンセプチュアリズム、マルセル・デュシャン、現代美術の最先端の風に吹かれ、ニューヨークに移り住みます。オノ・ヨーコジョン・レノンのダコタハウス、篠原有司男、荒川修作、三木富雄などと知り合い、杉本博司は「博打打ち」の生活に入ります。賞金稼ぎ、奨学金稼ぎです。

まずニューヨーク州政府の奨学金CAPSに合格、600ドル。つぎにMoMAニューヨーク近代美術館)へ写真の売り込み。翌週写真を引き取りに行くと、写真部長が会いたい、と言われ作品の買取が成立、500ドル。そこでグッゲンハイム奨学金への推薦状を書いてもらう。博打うちは成功、成り上がっていきます。杉本博司はすごい、それを支援するアメリカもすごい。やがて日本からやってきた渕崎絹枝と出会い、マックス・カンザスシティでデート。そこにはアンディ・ウォーホール、ヴェルベット・アンダーグラウンドのメンバー、ルー・リードがいて、友達になります。ほっぺをつねってみてください。夢ではありません。これが杉本博司の現実、1980年にはグッゲンハイム財団の奨学金1万5000ドルを手にします。

3、アーティスト 

<私は真夜中一人で息を凝らしながら、森の霊気を感じ、獣の気配を嗅ぎ、草木が眠る寝息を聞いた。(中略)私は人が森の中で生きていた頃の記憶が、私の血の中で蘇って来るのを感じた>。そして杉本博司は水の一滴の行く末に、海を感じ、海がテーマになります。今見ている海と古代人が見た海は変わらない、先祖の魂に憑依(ひょうい)したい、その夢が「海」の写真になり、「江の浦測候所」になります。人が人となった頃を思い出す。ナショナリストでもヒッピーでもない、杉本博司はサピエンスをテーマにしたアーティストです。