『「私」という男の生涯』(石原慎太郎 幻冬舎)。 死してなおベストセラーの慎太郎不滅の人気不死の天才。

THE TED TIMES 2022-23「故石原慎太郎」 7/1 編集長 大沢達男

 

『「私」という男の生涯』(石原慎太郎 幻冬舎)。

死してなおベストセラーの慎太郎不滅の人気不死の天才。

 

1、日本人

石原慎太郎さん、その後お変わりませんか。というのも変ですけど、あちらでボチボチやっていますか。

『「私」という男の生涯』、面白く読ませていただきました。

亡くなったあとに出版した本が、ベストセラーになるなんて、前代未聞です。

改めてその天才、その人気に驚きました。

それにしても石原さん、やっぱり石原さんは日本人ですね。

『「私」という男の生涯』のなかの3つのエピソードが気に入りました。

まず、ゴルフのオーガスタナショナル。

<あそこで目にした黒人たちは誰もが皆穏やかで礼儀正しく、誰もがカレッジを出ていて、ニューヨークや西部のロサンゼルスで見た黒人とは全く違って見事穏やかに飼い馴らされている>(p.273)

それをあなたは<一方的に有色人種を支配搾取してきた白人の横暴の極みを南部の旅で身にしみて知らされた>、と植民地支配の恐ろしさと表現しました。

私は70年代のアメリカで似たような経験をしています。

ところはフロリダ州オーランド、ベイヒルクラブ&ロッジ。「アーノルド・パーマー・インヴィテーショナル」のPGAツアーの一戦が行われるところです。

パーマーさんがまだ健在でした。

パーマーさんが、朝8時ごろゴルフコースに現れます。プレーじゃなくでコースを点検するためにです。

黒人の従業員が”Good Morning Mr. Palmer”と挨拶します。パーマーさんはそのみんなに1ドルのチップをさりげなく渡します。

従業員は挨拶だけで1ドルをもらえるのです。当時は、1ドル=250円。その数は、10人では収まりません。

次は、2016年オリンピック招致活動です。

2009年コペンハーゲンIOC総会の、2016年のオリンピック招致合戦で、日本は僅差で敗れるのですが、石原都知事は帰りの飛行機で悔しくて号泣しました。

<あのIOCを仕切っているヨーロッパの白人たちの横暴は腹に据えかねていたので・・・>(p.303)

でもこの経験があったからこそ、西欧風のプレゼンテーションで2020東京の招致に成功するのですが・・・。

「白人たちの横暴」、全くその通りです。世界の3大スポーツイベントといわれる、F1、ワールドカップ、オリンピック、全てそうです。

スポーツイベントは白人たちが発明したビジネスモデルで、フェラーリのためのF1、アディダスのためのワールとカップ、ナイキのためのオリンピックがあります。

3つ目の話題は、田中角栄

<角さんという天才がこの国の実質支配者だったアメリカによって葬られ>(p.325)、田中角栄アメリカによって抹殺された、とあなたははっきりと言い切りました。

さらにキッシンジャーは陰で田中角栄のことを<デンジャラスジャップ>と呼んでいた、と暴露します。

あなたがおっしゃることは「GHQの機関紙」といわれた朝日新聞が書けないことばかりです。

 

2、人たらし

五島昇さんにお世話になった話は読んでいて驚き、感動しました。

東急でよかった、西武じゃなくて、堤清二さんでなくって、よかった。

別に理由はありません。中学時代も、高校時代も渋谷近辺、東急が私の地元だったからです。

石原さん、五島昇さんとの出会いは、ほんとあなたの人生を変えましたね。

ヨット、ダイビング、狩猟、ゴルフ(スリーハンドレッド)・・・日生劇場のことはほんと驚きます。

ある日、五島さんからの電話があります。

<「その劇場(筆者注:日生劇場)会社の社長を俺が引き受けることにするから、君らがその下で好きなことをやりゃいいんだよ」>(p.1147)。

そして石原さんたちは企画書をつくり、劇場を建設し、ドイツ・ベルリンオペラを呼び、日生劇場を誕生させました。

なんと当時石原さんは27歳。先輩に感謝するとおっしゃいましたね。ほんと若造の夢の実現、五島さんもすごいけど、あの頃の日本はすごいですね。

なぜ石原さんあなたは年上の男性に気に入られるのですか。

五島さんは1916年生まれ、あなたよりひとまわり以上も年上ですよ。

『「私」という男の生涯』には出てきませんが、あなたは中曽根康弘さん(1918年生まれ)とも仲良かったというより、かわいがってもらっていましたね。

そして三島由紀夫(1925年生まれ)さんともよく会っていた。話し相手、論争相手というより、三島さんがあなたを気に入っていたのではないですか。

三島、五島、中曽根・・・なんだか語呂合わせのようですが、あなたは年上の人に大切にされた。

慎太郎、裕次郎は兄弟そろって、「人たらし」、だったのではないですか。

勝新太郎さんの石原裕次郎さんの葬式での弔辞を思い出します。

勝さんと裕次郎さんが飲み屋で、喧嘩になり「おもてへ出ろ!」となります。

外に出たところで裕次郎さんが例の人なつっこい笑顔を浮かべ、「芝居ってことにしておこうか?」、と持ちかけます。

勝さんは一も二もなく了解・・・。

石原兄弟は人たらしだったのではないのですか。

 

3、ウォーター・コンプレックス

<私のこうした回想に並行して政治家としての人生も在りはした。それをたどってみても索莫とした感慨しかありはしない>(p.239)。

<(30年以上)国会なるところに籍を置いて過ごしたが、海や未開の大陸を彷徨して過ごした体験や女たちの出会いで味わったような官能に触れる出会いなど殆どありはしなかった>(p.239)

そして石原さんあなたは自らを「ウォーターコンプレックス」と規定しました。

<海は私の人生の光背とし不可欠なものとして在る>(p.231)。

私はヨットをやりませんが、波乗りや素潜りはやります。全く同感です。

海に行きたくなります。潮騒を身をまかせたくなります。

そして行くたびに海は予測不能だと思い知らされます。

世の中理屈じゃわかんねえや。不可知論になります。

<不可知なるものが人の人生を容易に支配する>(p.34)。

***

そして突然、気が付きました。

石原さんあなたの文章は、セロニアス・モンクです(石原慎太郎の小説『ファンキー・ジャンプ』では「テロニアス・モンク」)。

調子外れで独特のリズム(失礼)。

過去の誰にも似ていない。未来の誰もが真似することができない。

小説の中の石原慎太郎という一つのジャンル。

どうでしょうか。

***

と言っても、もうあなたからの返答は聞けない。

やっぱ、死んでしまうのは、つまらないのでしょうか。

 

End