THE TED TIMES 2022-29「日本左翼」 8/20 編集長 大沢達男
私は左翼ではない、むしろ右翼です(『文藝春秋』2022.8 「日本左翼100年の総括」池上彰×佐藤優 を要約する)。
1、左翼
1792年フランスの国民議会で、議長席から左側に王権をアンシャン・レジーム(旧体制・時代遅れ)とみなし打倒を目指す急進派が陣取り、右側には王党派を中心に体制維持を考える人が陣取りました。左派右派はここに由来します(池上)。
左派の特徴は理性を重視することです。理性を正しく運用すれば誰しも同じ結論に達する、理性で理想の社会を構築できると考えます(佐藤)。
たいして右翼は理性は不完全なものだと考えます。人間は文化と環境で一定の偏見を持ち、誤謬も犯す、それが理性を超えてしまう場合の方多い。だから教会、王などの存在理由は合理的な説明はできないけれど、人知を超えた英知があるからだと考えます(佐藤)。
そして佐藤優は思わぬこと付け加えます。左翼は「全人民の武装化」によって権力に対抗する。武装する権利を人民によこせ、究極的に国民皆兵。一方右翼は職業軍、プロに任せます。
2、野党
なぜ日本で健全な野党が育たなかったのか。池上×佐藤は、左翼のていたらくを問題にします。
まず自民党が社会民主主義を体現してしまったからです(佐藤)。中央の富を公共事業を通うじて政治家が再分配する構図を作り出す。田中角栄は土建事業で再分配を進めた日本型社会民主主義者の代表です(佐藤)。
公共事業を大幅に削減したのが小泉純一郎でした。小さな政府のもとで競争を促す新自由主義的政策を打ち出し(佐藤)、与党内の疑似政権交代が行われます(池上)。
一方社会党の低迷の始まりは、1970年代後半に社会主義協会の人々が、社会党内でパージされたことが原因であると指摘します(佐藤)。社会主義協会は、社会党内の最大の理論家の集団で、山川均、向坂逸郎などの労農派系譜の人たちです。世界に先駆けて資本主義から社会主義へ平和的に移行す「平和革命論」を唱えました(池上)。「労農」という雑誌を創刊したことから「労農派」になりました。
「労農派」と対立したのが「講座派」です。岩波書店の「日本資本主義発達史講座」を書いた野呂栄太郎、山田盛太郎などの共産党系の理論家集団です(池上)。
向坂は、三井三池炭鉱争議で敗れ、ソ連軍の軍事力を後ろ盾に革命を起こすことを考えるようになります。これを社会党内の親中国派や反共産主義者が危険と考え、社会主義協会排除に向かい、社会党は衰退します(佐藤)。
さらに平成以降も社会党は自分の首をしめるような行動をとりました。まず土井たか子。象徴天皇制を変えないと主張する、尊王主義者でした(佐藤)。土井委員長によって労農派の系譜は完全に断ち切られます(池上)。次は村上富市。自衛隊合憲、日米安保条約堅持とそれまで社会党の主張と正反対の発言をします(池上)。
では「講座派」の共産党はどうか。共産党は反権力運動をことごとく潰してきた実績があります。まず1947年の2.1ゼネスト、つぎに1964年の春闘、ともに直前になり共産党はスト中止に方針転換します。運動を邪魔してきました(佐藤)。
総評(日本労働者組合総評議会)と同盟(全日本労働総同盟)が1989年に合同してできた連合(日本労働組合総連合会)の芳野友子会長は、こうした共産党の過去の歴史から、共産党と共闘を嫌がっています(池上)。
3、労農派と講座派
佐藤優が指摘します。池上彰は労農派であると。そして労農派的な知識人として、柄谷行人、竹中平蔵をあげ、講座派知識人として、内田樹、中島岳、白井聡をあげます(佐藤)。佐藤優自身は、宇野弘蔵学派。唯物史観や社会主義イデオロギーから切り離し、科学としての経済学を考えています。
とどのつまり、現代の日本を代表する知識人である池上彰も佐藤優(ご自身は中道右翼と言いますが)も左翼です。日本は異常にマルクスが好きな国です。果たして左翼は必要でしょうか。