THE TED TIMES 2022-31「追悼・安倍晋三元首相」 9/4 編集長 大沢達男
北村滋の言葉に触発され、安倍総理を「国士」として送ります。
○安倍晋三(1954~2022)
父は安倍晋太郎、母は岸信介の娘・洋子。成蹊小、中、高をへて成蹊大学卒。神戸製鋼に3年間勤務後、父・晋太郎の秘書官に。1993年父の急死のあと国会議員。
2006年戦後最年少で総理大臣。2007年病気のために退陣。2012~2020年内閣総理大臣。2022年参院選街頭演説中、暴漢の銃撃で死亡する。
○北村滋(1956~)
開成中学、開成高校、東大法学部卒。1980年警察庁。1983年フランス国立行政学院へ留学。2006年内閣総理大臣秘書官。2011年民主党野田政権の内閣情報秘書官。
2012年安倍内閣の内閣情報秘書官。2019年国家安全保障局長。内閣特別顧問。2021年退任。
安倍総理を送る言葉が見つかりませんでした。
さらに、国葬がふさわしいか否かとなると、と私には全く判断がつきませんでした。
しかし偶然見つけた前国家安全保障局長・北村滋の「追想・安倍晋三内閣総理大臣」(『文藝春秋』2022.9)を読んで、
安倍晋三元総理は「国士」だとの確信を持つにいたりました。
国士とは憂国の士で、国のために尽くし、国のために、自らの命を差し出す人のことです。
安倍総理はまさしく国士でした。
北村は追想します。
初めて安倍晋三に出会ったのは、1989年、本富士警察署長として、父・安倍晋太郎自由民主党幹事長の警備の順天堂病院でした。
安倍晋三35歳、北村滋33歳。
「順天堂病院の警備を担当しております、本富士警察署長の北村です」
「いろいろお世話になります」
安倍は政界のサラブレッドであるのにも関わらず深々と頭を下げた、礼儀正しさが印象に残ったといいます。
この瞬間が二人の関係の全ての始まりでした。
その後安部が総理なってからは、内閣情報官として最長7年8ヶ月、北村は安倍に仕えることになります。
北村は追想します。
安倍総理のライフワークは安全保障機構及び制度全体に対する改革でした。
2013年には特定秘密保護法。安全保障に関する機密情報の保全が強化されました。
2014年の国家安全保障局(NSS)の発足。安全保障では、外務省と防衛省の個別対応から、官邸が司令塔になりました。
2014年には集団的自衛権を可能にする憲法解釈を変更します。
2015年には平和安全法制を制定。同盟国が攻撃された際、自国が直接攻撃されていなくても共同で反撃できる集団的自衛権です。
さらに2022年の経済安全保障推進法があります。
残されたの日本国憲法改正だけです。
北村は追想します。
安倍総理の外交は「自由で開かれたインド太平洋」構想でした。
2007年インド国会で演説しています。日本とインドの拡大アジアが、米国や豪州を巻き込む太平洋全域の広大なネットワークに成長する、と。
2012年安倍総理は”Asia’s Democratic Security Diamond”という論文を発表します。オーストラリア、インド、日本、ハワイ州でダイアモンドを形成するというものです。
2014年アジア安全保障会議で「アジアの平和と繁栄よ、永遠なれ」の演説を行います。
それに答えて、安倍総理退陣後ですが、
2021年オブライエン国家安全保障担当大統領補佐官は「米国インド太平洋戦略構想」を開示します。
さらに2021年バイデン政権発足後もサリバン補佐官は「自由で開かれたインド太平洋」という考え方を支持すると表明します。
ここでも残されたのは日本国憲法改正だけです。
北村は追想します。
安倍総理はインテリジェンス・ブリーフ(諜報報告)に多くの時間を割き、情勢認識を事実で検証していました。
そして中国の兵書『孫子』を引きながら、聡明な政治指導者や軍事指導者のみが、知的に優れた者をインテリジェンスオフィサーに登用し比類なき業績をおさめることができると追想しています。
さらにフランス国立行政学院で学んでいる北村は、ドゴールの『剣の刃』から言葉を引用しながら、安倍総理に対して、<「難局に立ち向かう精神力の人」は部下思いの慈愛の人でもあった>、という言葉を送っています。
2022年増上寺の別れで、安倍総理の昭恵夫人は「(安倍総理は)種をいっぱいまいているので、それが芽吹くでしょう」と結びます。
すでに高齢者になった北村は、自分は「種」なのか「芽吹く」のかと自問し、自らを責めています。
泣くな北村、自分を責めるな北村。安倍晋三を支え、安倍晋三に提言した君もまた国士だ。
正確には、北村は安倍総理を国士と、呼んでいません。
安部の親友であった、亡き葛西敬之東海鉄道株式会社名誉会長に対して卓越した経営者であるととも国士であった、と「国士」という言葉を使っています。
総理大臣に国士は似合わない。在野の人、むしろ名もない人ほど国士と呼ぶにふさわしい。
しかし安倍総理は国士でした。国のために命を捧げました。
さらに思わぬ人から、安倍晋三への追悼の言葉を聞いて、国士の思いを強くしました。
「とにかく安倍さんは信義、義理、忠義、仁義なと『義』の付くものを守り抜く人でした」(『Numero Tokyo』 160 p.170)。
安倍晋三は「義人」(自分の利害を考えず他人の苦しみを救う人)、義の人でもありました。
そのとき日本は、弔問に訪れた世界の首脳に、宣言すればいい。
防衛費のGNP比2パーセント(『Hanada』2022.8 p.33 安倍晋三 櫻井よしこ)達成をし、日本国憲法の改正をする。
それが安倍晋三の遺志であったと。
合掌。