映画『TAR/ター』に納得できないのは、音楽を大切にしていない、指揮者の魅力を描いていないからです。

THE TED TIMES 2023-22「映画『TAR』」 6/8 編集長 大沢達男

 

映画『TAR/ター』に納得できないのは、音楽を大切にしていない、指揮者の魅力を描いていないからです。

 

1、萩元晴彦

「現代の主役・小澤征爾”第九を揮る」というドキュメンタリー番組ありました。撮ったのは萩元晴彦(1930~2001)で、もうだいぶ前のことで、こんな話をするのは気が引けます。だいたい萩元晴彦なんて言ったって、通じる人は少なくなりました。もう亡くなって20年以上経つのですから。

映画『TAR/ター』(トッド・フィールド監督 米国 2022年)を観ていて、どうしても萩元が撮った小澤と見較べてしまいます。

小澤は楽団員にこんな風に話しかけます。

「今のテンポじゃだめ。スパゲッティを8分も茹でた。茹ですぎでグニヤグニャ・・・(楽団員から笑い)」

カラヤン先生は、ワーグナーのゆったりとしたテンポが、すごくお上手でした・・・(と言って、両手をゆっくりひろげて閉じる。楽団員、またまた笑う)」

萩元の撮ったシーンをはっきりと覚えています。もう20~30年前のことです。指揮者はメチャメチャ魅力的です。

TAR(リディア・ター)を演じたケート・ブランシェットは、小澤の映像を見るべきだったと思います。

小澤征爾だけではありません。小林研一郎は自分のピアノで美空ひばりの「酒」を歌いました。指揮者ってすごい!ちゃんと小林研一郎の音楽になっていました。そして山田和樹。アンコールの時の聴衆への気遣い、並大抵ではありません。完璧な接客業、酒場のホストを演じています。

もちろん、演劇的なカラヤンの指揮もいい。それと対照的に無表情にベートーヴェンの第5を振るカール・ベームもすごいとしか言いようがない。

小澤征爾を育てた指揮法の斎藤秀雄(1902~74)は、指揮者は、ていねいに誠意をもってお客さまに音楽をお届けしなければならない、としています。

指揮者TARは私たちに珠玉の時間を提供してくれたでしょうか。TARは忘れらない人になったでしょうか。

2、フランシス・フォード・コッポラ

TARの指揮になぜ感動できないか。音は出すけれど、音楽をやってくれないからです。TARの指揮は短いパッセージだけです。1分すら2~3分すら続きません。ですから聴いていて欲求不満が残ります。結局TARがどういう音楽をやりたかったのかが見えてきません。

映画『ゴッドファーザー part3』でコッポラ監督は全曲70分のオペラ『カヴァレリヤ・ルスティカーナ』(ピエトロ・マスカーニ作曲)を使っています。映画では、オペラの決闘のシーンと、歌劇場で現実に進行する暗殺シーンが同時進行していき、大迫力のドラマが構築されています。

もちろん『ベニスに死す』(ルキノ・ヴィスコンティ監督)でもいいです。ヴィスコンティ監督はマーラーの第5交響曲の第4楽章をそのままそっくり使っています。老作曲家アッシェンバッハの最後はマーラーのメロディで終わっていきます。

しかし『TAR』は音楽映画のなのに、音楽が大切されていません。TARの指揮に感情移入できません。

3、ロウ・イエ

最後のもうひとつ映画を思い出しました。『スプリング・フィーバー』(ロウ・イエ監督 中国 2009年)。これは夫の浮気の相手が青年だったという話です。監督は過激です。男と男の全裸の愛のシーンを延々と描きます。ロウ・イエ監督はエロとテロを描き、世界でナンバーワンです。

TARはパートナーとどのような愛の生活を送っていたのでしょうか。あるいはTARは恋した同性にどのように接近したのでしょうか。マーラーの第5交響曲第5楽章を使い、オーケストラ内のエロとテロを描くべきした。圧巻のラストシーンになったはずです(エンディングのヴェトナムでのシーケンスは白人帝国主義の人種差別以外のなにものでもない)。

映画は思わせぶりだけ、それでわかってくれとでも言うのでしょうか。それともそれが人権だとでもいうのでしょうか。

TARを演じたケート・ブランシェットはヴェネチア映画祭で主演女優賞を受賞しました。私は映画評論家中条省平の絶賛でこの映画を見ました。私はTAR(リディア・ター)に納得できません。