福田和也が絶賛する、戦争画「ハルハ河畔之戦闘」とは何か。

THE TED TIMES 2023-21「ノモンハン」 6/1 編集長 大沢達男

 

福田和也が絶賛する、戦争画「ハルハ河畔之戦闘」とは何か。

 

1、ノモンハン

一枚の戦争絵画があります。「ハルハ河畔之戦闘」という題名の縦140.0×横448.0の巨大な絵画。1941年の藤田嗣治の作品です。

ハルハ河とはモンゴル人民共和国ソ連)と満州国(日本)の国境に流れる川で、絵画はノモンハン事件(1939年)を題材に描かれたものです。

画面の左側から日本兵が匍匐(ほふく)前進しています。中央には青空とどこまでも続く平原があり、かなたには戦闘の煙が上がっています。そして右側にはソ連軍の戦車があり、その上に日本兵が3人乗り、銃剣で戦車の中の戦闘員を威嚇しています。

ノモンハン事件は日本軍が敗北した戦闘として記録されていますが、この絵は日本軍の圧倒的優勢を描いています。

戦車の上の3人はもちろんのこと、左から匍匐前進する日本兵の表情は「元気はつらつ」に描かれています。

藤田嗣治(1886~1968)はパリで活躍したエコール・ド・パリの画家で、戦争画にはふさわしくないと思われますが、第2次世界大戦勃発とともに帰国し、従軍画家として活躍しています。

この絵画は芸術としていかに評価されるべきでしょうか。

「『ハルハ河畔之戦斗』は緊張感溢れる作品であり、(中略)戦後あきらかになったノモンハン戦争の実像を念頭に置いても眺めても鑑賞に耐える、藤田の作品の中のでも指折りの作品である」(『保田與重郎と昭和の御代』 p.26 福田和也 文藝春秋)。

藤田嗣治(中略)らによる大東亜戦争期に描かれた戦争画は(中略)近代日本美術最大の成果である。これらの作品を、御用画家やプロパガンダの作とのみ考えて疑問を感じない者は、美について一片の良心も備えていない」(同上 p.26)。

と、文芸評論家の福田和也はこの絵画を絶賛します。私は現物どころか複製画すら見ていません。ただネットで見ているだけですが、福田の意見には耳を傾けざるを得ません。

 

2、南下

なぜ「ハルハ河畔之戦闘」という絵画が問題になるのでしょうか。

それを説明するのに福田はいきなり村上春樹を連れてきます。村上がノモンハンを小説『ねじまき鳥のクロニクル』のワンシーンで書いているからです。

なぜ村上がノモンハンを書いたのか、なぜ村上がノモンハンに魅せられたのか、それは分からない。

村上自身にもわからない。それがノモンハンで、そのノモンハンから「遥かなるもの」が顕現してくる、というのです。

「ハルハ河畔之戦闘」の「元気はつらつ」にあるものを福田は、保田與重郎の言葉を借りながら「世界精神」、「浪漫精神」、「神」、「爽やかさ」、「よく戦ひを楽しむ心境」と言います。

そしてそれは「荒涼」から南下する「戦争」の思想です。漢民族の国境を侵した匈奴満州から大陸に攻め込んだ日本軍、支那大陸からインド、オリエント、ロシア、東ヨーロッパに進出したモンゴル帝国

南はただの方角ではない。「荒涼」から「充実」を求める道でした。

さらに「南下の思想」は、「我々は東洋平和のために優秀な支那を壊滅せねばならない」、ゆえに日本の若者こそが、20世紀を、新しい文明を語り、構想しなければならない、と展開されます。

・・・なるほどと言いたいけども、これだけだと、なんのことだか分からない、抽象的すぎます。補います。

まず第1。

保田が言う、あるいは日本軍が行った「殺戮」、「虐殺」は、ナチズムのジェノサイドと根本的に違うと、福田は説明します。

ホロコーストの根はナショナリズムではなくピューリタリズムだ。クロムウェルアイルランドカトリック教徒の排除、虐殺をした、同じことを清教徒アメリカ大陸で繰り返した。

収容所キャンプを作りインディアンを絶滅した。これをナチス・ドイツがまねた。「純粋」が目指すのは、「異質なもの」、「異国」の排除である。

対して保田與重郎は純粋への意思はなく、「戦争」でした。

「敵」と「敵」として見ることでした。そして日本が本来性を取り戻し故郷を顕現させることでした(p.65~6)。

次に第2。

当時のインテリは、国際連盟とイギリス式議会様式そして共産主義コミンテルン)にしか進むべき道を見出せませんでした。

それは自由と平等、文明と産業の「19世紀」の思想でしかありませんでした。

ゆえに日本の若者こそが、20世紀を、新しい世界文明を語り、構想しなければなりませんでした(p.39)。

そして第3。

保田の言う「悠々とした世界性と浪漫精神」とは、理屈や論理、思想を超越したものであり、儒教や西欧の哲学の超越性を解体し、等身大に戻すことです。

「今の軍国の教訓」は、忠義・孝養といった「儒教的な教訓」、「文明開化の宣伝」に堕しており、「我国の神の道は、さういうものを否定する道」に他なりません。

それは、日本文学が「思想としての理屈から成立せず、もっと生々しい歴史と民族」の上に成り立っているからです(p.18)。

 

3、「遥かなるもの」

福田和也は『保田與重郎と昭和の御代』を、きわめて抽象的に書き始めています。

「遥かなるものの大いなる面影が、私たちに蘇りつつある」、「遥かなるものは、再び私たちを、遠くに連れて行くだろう」(p.7~8)。

そして結語近くでは「保田與重郎において、日本にとっての『異国』とは何だろうか。おそらくそれは、支那でもなく、アメリカでもない。『遥かなるもの』こそが、『異国』なのである。」

「(中略)『殺戮』と『虐殺』の爽やかな彷徨を進めながら、私たちは日本を、祖国を、小さく、懐かしいもの見つけだす。」(p.67)。

私たちにとって、「ハルハ河畔之戦闘」の「元気はつらつ」の兵士になることは、夢もまた夢です。

いつか傑作絵画に出会える日を願うばかりです。