THE TED TIMES 2023-44「クリスティアン・ムンジウ」 11/22 編集長 大沢達男
『ヨーロッパ新世紀』という変な日本題名の映画、日本人が全く映画を理解できない証拠(原題 『R.M.N.』)。
1、彼女
村のパン工場に働きにやってきたスリランカ人3人を、巡って喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が行われています。
「いまはたったの3人だが、やがて仲間も、家族もやってきて、この村は占領されてしまう」、
「彼らが触ったパンを食べろというのか」、
「私たちと、彼らが持っている免疫は、違う。野生動物からのウィルスが人間に感染して新しい病気が流行るように、彼らが新しい感染症を持ち込む可能性がある」。
住民の意見に対して、スリランカ人を雇用しているパン工場の女性オーナーは、
「法律に則って雇用しています」、「彼らを隣の村に移住させ、通わせます」、「手袋をして作業をさせます」・・・。
などと弁明しますが、村人は聞き入れません。
しばらくの後、過激な住民が提案します。
「採決をしよう」、「スリランカ人がこの村に住み働くことに賛成の者、反対の者」、「411対6だ」、「彼らをこの村から追い出そう」。
住民集会には、映画の主人公マティアスと恋人のシーラもいました。
マティアスはドイツに出稼ぎ行っていましたが、職場で「ジプシー!」と罵倒され反抗し、村に帰ってきたばかりでした。
恋人のシーラは、パン工場の女性オーナーを支えるビジネス・パースン。
もちろんスリランカ人の労働に賛成です。
住民集会は討論は面白いのですが、それとは関係なしのおかしなシーンがありました。
・・・突然・・・マティアスがシーラに、手を握らせて・・・とおねだりするのです。
シーラは、なにをみんなの前で・・・拒否しますが、両腕を組み・・・その下から皆にわからないよう、彼に手を触らせます。
村で働く異民族を守る強い女性、外国で異民族といじめられ帰ってきた弱い男性の対比・・・
どうもこのシーンには、クリスティアン・ムンジウ監督の企みが、ありそうです。
2、父と子
マティアスには恋人のシーラとは別に、家庭がありました。妻のアナと10歳前後の男の子ルディです。
アナは強い女性。家を出て行き、クリスマスを前に手ぶらで帰ってきた、マティアスを許していません。
そればかりか、マティアスが息子に接することも拒否します。
息子のルディは言葉を失った自閉症児のようでした。
アナは、息子のルディがだらしのない父親に影響を受け病状が悪化することを、恐れていました。
しかしマティアスはシーラの目を盗んで、父親として息子を教育しようとします。
森を通って学校に送迎し、バイクに乗せて、湖へ山へと連れて行きます。
そして雪や水との付き合い方、野獣に出くわしたら、危険人物を見つけたら・・・シチュエーションごとの危険回避を教育します。
自分が父から教えてもらったことを、そのまま息子のルディに教育しようとしていました。
男性マティアスは、女性アナがどんなに息子を可愛がろうとも、息子を男性として家長として育てることはできない、ことを知っていました。
逆に強い女性アナは、息子の教育はマティアスにはできないと、信じていましたが・・・。
これらのプロットにも、クリスティアン・ムンジウ監督の企みを、感じました。
3、彼女たち
映画には3人の強い女性が出てきます。
まず妻のアナ。夫のマティアスをダメ男と決めつけた強い女性です。
次はマティアスの恋人シーラです。シーラはパン工場のオーナーをサポートする有能な女性です。
そればかりでなく、シーラはチェロを弾きます。自分を表現する人間です。そしてシーラはマティアスとセックスを自由にエンジョイしています。
そしてもう一人の女性は、パン工場の女性オーナーです。
スリランカ人の労働者に気配り配慮できる人格者です。
411対6の圧倒的な不利な住民集会で、たった一人弁明の論陣をはった頭脳明晰な論客です。
強い女性3人に対して、登場する男性は弱い3人です。
まず主人公のマティアス。出稼ぎのドイツから無一文で家族の元に帰ってきた男です。
次は言葉を失った息子ルディ。
そしてもう一人。マティアスの父です。
父は一人で生活しているようです。映画は、父の妻、つまりマティアスの母についての、説明はしません。
父は老齢、病気を抱えています。しかし映画はその父に、悲劇的な結末を、用意しています。なぜそうなったのか、
ここにも、クリスティアン・ムンジウ監督の企みが、あります。
4、リベラリズム
映画は、住民集会の討論、男性を使い仕事をする有能な女性、そして民族の差別問題を描いています。
(映画の解説のよくマティアスは「ドイツで暴行事件を起こし、ルーマニアに帰ってきた」とありますが、完全な間違いです。「暴行事件」ではなく、「『ジプシー!』の差別発言に反抗し」です)。
映画は全体として、民主制、自由、平等のリベラリズムの主張を、しているかのようです。
ここにも、クリスティアン・ムンジウ監督の企みが、あります。
住民の無責任な発言と多数決の暴挙をする民主制、自由な女性の仕事が生み出す住民不和、差別されるものが差別する平等の不合理。
監督は、リベラリズムの危機を描いていますが、リベラリズムの正義を主張しているのではなく、逆にその正義を疑っています。
歴史人口学者エマニュエル・トッドによれば、ルーマニアは核家族の国、となりのハンガリーは核家族と直系家族がミックスした国、そしてそのとなりのドイツは直系家族の国です。
核家族社会では個人が自由なリベラリズム、直系家族社会では長男中心の家父長制。もちろんトランシルバニアは多民族地域(maltiethnic earea)です。
リスティアン・ムンジウ監督は、リベラリズムの危機を、この映画にワナとして仕掛けました。
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さて映画の原題『R.M.N.』とは、「Rezonanta Magnetica Nucleara」で、英語で「Nuclear Magnetic Resonance 」、日本語にすれば「MRI=Magnetic Resonance Imaging」(核磁気共鳴画像法)になります。
MRIは、脳腫瘍、脳梗塞、脳溢血などの、脳検査で活躍しています。
クリスティアン・ムンジウ監督は、民主制、自由、平等などのリベラルな概念が巣食う脳をMRIで診断したかった、それが監督の企みで、『 R.M.N.』という題名になりました。
現在、リベラリズムは「リベラリズム帝国主義」になって、1991年のソ連崩壊後の東ヨーロッパを侵略し、ウクライナで紛争を起こし、グローバルサウスの反発をかっています。
しかし『R.M.N.』という名の映画は、「ヨーロッパ」だの、「新世紀」だのを、テーマにしていません。見当違いです。
これは、リベラルな日本の知識人が、戦後の日本の置かれた状況を、理解していない証拠です。
正しいタイトルは、『リベラリズム脳障害』、『リベラリズム狂詩曲』、あるいは『リベラリズム帝国主義 SINCE 1991』が適切です。
おすすめは『Rhapsody In Liberalism (リアリズム狂詩曲)』でしょうか。
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映画の最後に謎のシーンがあります。
仕事で有能、音楽を愛し、性で奔放。リベラリズムの象徴のようなシーラが、ダメ男のマティウスに「ごめんなさい」と謝罪し、闇の中へ動物の住む荒野に消えていき、映画はエンディングとなります。
耳には、映画のなかばで聴いたピッチ(音程)が不安定な「ハンガリアン狂詩曲」だけが、やけに残ります。
End