THE TED TIMES 2023-52「枯れ葉」 12/27 編集長 大沢達男
映画『枯れ葉』は、今年二人目のフィンランドの監督の作品です。
映画『枯れ葉』を観ていて驚きました。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『若者のすべて』(1960~)のポスターが、飲み屋の壁に貼ってあるではありませんか。
ほかにもいろいろな映画のポスターがありましたが、ヴィスコンティ監督の映画だけが目を引きました。
なぜ、分かったのでしょうか。
映画『若者のすべて』の原題『Rocco e I soui fratelli』(Rocco and his brothers=ロッコと兄弟)を知っていたからです。
飲み屋のシーンでは、壁のポスターにある若者がアラン・ドロンである、ことを確認するだけに集中していました。
そしてこの映画には、映画好きの監督のいろんなワナが仕掛けてあるんだろうな、と思い始めました。
そして映画のエンディング。最後のワナに笑いました。
男「犬の名前はなんていうの?」
女「チャップリン!!」
監督は映画が好きなんです。
そしてもうひとつフィンランドがヨーロッパの田舎であることがわかりました。
若者は都会に憧れ、映画を目指す。
映画『枯れ葉』は、イギリスのロックパンド『オアシス』のノエル・ギャラガーやリアム・ギャラガーを思わせるような、いかにも労働者風の男(オアシスのファンの方々、失礼!)の恋物語です。
甘いロマンスの話ですが、田舎者で無教養な肉体労働者の二人が主役では、全くロマンチックではありません。
男は仕事中の工事現場でポケットビンから酒を飲むようなろくでなしです。透明な水のような液体ですから、スピリッツ系、ジンかウォッカでしょう。強い酒です。
女はこれまたパートタイム労働者のサエない女。賞味期限のパンとはいえ、それを店の棚からバックに入れて持ち出し、警備員に見つかり捕まってしまうのですから。
二人の関係は虚無的、と言ってもいいほどです
映画はそれをよく捕らえています。
ポートレートを撮るように動かないカメラ、喜怒哀楽の表情を表さない男と女。
セックスも、キスも、抱擁すらしない、恋人たち。徹底したアンチ・ロマンです。
それは映画の半ばで現れる「マウステチュトット」の演奏で決定的になります。
時代遅れの田舎のパンク・バンド。彼女たちの演奏で、映画のトーン&マナーは決定的になります。
反抗的、刹那的、虚無的、暴力的、無神論的。
でも・・・男と女は絆を求め、幸せを切望している。それに応えるように映画はハッピーエンドで終わります。
先ほど触れた映画のエンディングのシーン、男と女は二人並んで犬と一緒に、未来に向かって歩いて行きます。
そして犬の名前が「チャップリン!」で、笑って終わり。
あーよかった、よかった。
2、ユホ・コスマネン
映画『枯れ葉』の監督はアキ・カウリスマキ(1957~)、もう20本以上映画を撮っていて国際的にも評価されているフィンランドの映画監督です。
フィンランドの映画監督なんて珍しい。
ところが今年の初めにもうひとりフィンランドの映画監督の作品を見ています。
『コンパートメントNo.6』のユホ・コスマネン監督(1979~)です。
年の初めのユホ・コスネマン、年の暮れにアキ・カウリスマキ。今年はフィランドの年でした。
さて『枯れ葉』vs.『コンパートメントNo.6』。どちらに軍配が上がるでしょうか。
物語とカメラワークで、対照的な映画です。
『枯れ葉』は、ひとつの町で男と女の物語、そしてカメラは動きません。
『コンパートメント』は、ひとりの女性の列車での旅の物語、カメラは手持ちカメラで自由自在に動きます。
映画作りという点では、甲乙がつけられません。
ただ二つの映画には共通点があります。
フィンランドと外国の関係を扱っていることです。
『枯れ葉』は、物語に関係なく、ときどきラジオからウクライナ情勢を知らせます。
どうもアキ・カウリスマキ監督は、ウクライナの戦争に反対し、ロシアに怒りをぶつけているようです。
わかりません。
対して『コンパートメント』は、ウクライナ戦争が始まる前の映画ですが、フィンランドに批判的、ロシアに親和的です。
映画の主人公の女性は、自由を絵に書いたようなボヘミアンのフィランド人を断罪し、酒飲みで無作法なロシア人に親しみを見せます。
飛躍して言うと、映画は米国とNATOのリベラリズムに、批判的です。
ウクライナ戦争の行方はわかりませんが、歴史人口学者のエマニュエル・トッドは早くも、米国とNATOの敗北を宣言しています。
論旨は、米国経済の脆弱さ、ドイツとロシアの切っても切れない関係、ポーランドのウクライナ領土へ野心・・・極めて説得力があります。
フィランドのNATO加盟、リベラリズムへの帰依は間違いです。
まあ、屁理屈を並べて申し訳ありませんが、『枯れ葉』vs.『コンパートメントNo.6』は、世界観においてユホ・コスマネン監督の勝ちです。
全く個人的な事情ですが『枯れ葉』を観る前日に、ヴィム・ヴェンダース監督の『パーフェクト・デイズ』を見ました。
ともに最下層の労働者を扱っている映画ということで、今度は『枯れ葉』vs.『パーフェクト・デイズ』を考えてみます。
これは議論するまでもなく、アキ・カウリスマキ監督の勝ちです。
監督自身が郵便配達、皿洗い、煉瓦工の経験者で、労働者階級を描くのを専門にしている監督だからです。
『枯れ葉』の酒飲みの主人公が「オアシス」のリアムやノエルに似ているからではなく、彼に親しみを持てます。
つまり労働者の本当が描かれているから、仕事中にポケット瓶から焼酎を飲んで見たいからです。
対して『パーフェクト・デイズ』のトイレ清掃員平山さんは、インテリや金持ちの憧憬(強く言う軽蔑)でしかない、と私は生意気な感想を持ちました。
ヴィム・ヴェンダース監督は、「平山さんは、今の私たちが必要としているキャラクターだ」と言いましたが、平山さんは大人の童話の主人公でしかありません。
アキ・カウリスマキ監督には及びませんが、皿洗い、焼き鳥屋の店員、ガードマン、ちょっとした最下層の肉体労働者の経験をしたことのある私には、わかります。
いい映画ですが、平山さんに親近感を持つ、会いたいと思うことはありません。
アキ・カウリスマキ監督は1勝1敗。理屈で負けて、感覚で勝った、というところでしょうか。
映画好きの監督に敬意を評します。まずは映画『枯れ葉』に乾杯です。