神に感謝。めったの読まなかったま川賞で大型新人「九段理江」に出会いました。

THE TED TIMES 2024-09「九段理江」 2/28 編集長 大沢達男

 

神に感謝。めったの読まなかったま川賞で大型新人「九段理江」に出会いました。

 

1、ザハ・ハディト

「ザハ・ハディトの新(「シン」筆者の命名)国立競技場は必ず建つ。実現する。でも、それは負のレガシーのようなものにはなり得ない。なぜなら圧倒的に美しいから。そしてザハ案が選ばれたのは、東京に不足する不足する美しさを彼女だけの案が備えていたからに違いない。もしそれが建たなければ、東京が満ち足りることはない。」(p.31)。

「夕焼けが夜に完全に侵食されると、スタジアム全体は幻想的な紫色の光でライトアップされ、東京の景色を一瞬にして何十年も加速させた。(中略)奇跡としか言いようのないその光景を、私はいつまでも飽きることなく眺めていた。今にでも動き出すのではないかという生命感を湛えた構造物は、周囲に林立するビル群や道路を走る車のライトを養分にして独自進化を遂げた、巨大生物のように見える」(p.32~3)。

なんという名文でしょう。

いまでは新国立競技場は隈研吾案で完成しています。ザア・ハディット(Zaha Hadid)のシン国立競技場の設計案を議論する人など、誰もいません。

過去の決定を覆すような議論は潔(いさぎよ)くないとは、知っていますが・・・。

名文です。東京の都市計画の本質をついています。未来があります。

 

2、シン国立競技場

明治神宮外苑は明治天皇昭憲皇太后の御遺徳を伝えるために作られた美しい庭園でした。

明治神宮競技場が大正13年聖徳記念絵画館、野球場、相撲場が大正15年(1926年)、そして昭和6年に水泳場が完成しています。

1958年から、私は神宮球場の前にある都立青山高校に通うことになり、外苑とともに青春を送ってきました。

しかし明治神宮外苑はそのころからすでに破綻を見せてきました。

まず、「明治神宮外苑競技場」が1957年に取り壊され、アジア大会のために「国立競技場」になったことです。

緑の森に異種のコンクリートの構造物が現れました。それは1964年のオリンピックに向けてさらに巨大になります。

つぎに1961年に、大相撲夏場所(1947年)が開催されたこともある、相撲場が壊され第2球場が建設されます。

悲しむべきは、絵画館前の広場が軟式野球場になり、バッティング練習場までできたことです。

加えて水泳場は高速道路に削られ、最後にはなくなってしまい、絵画館裏には首都高速の出口ができました。

絵画館前の「角池」を子供用プールとして開放したことがありました。なんと馬鹿げたことをしたものでしょう。

明治天皇に敬意を表す場をプールにするなど、どなたの発想だったのでしょうか。

絵画館前の広大な広場を野球場にするというのも同じ発想です。

246号線からの銀杏並木があり、広大な広場があり、かなたに絵画館を望むから、明治天皇をしのぶにふさわしく神聖なのです。

国立競技場の建設に始まる矛盾だらけの神宮外苑再開発に対して、新たに計画されたザハ・ハディトのシン国立競技場の設計案は、晴天の霹靂でした。

矛盾だらけの神宮外苑を一新するもので、新しい東京の、いや日本のランドマークになるものでした。

私たちは熱狂しました。

かつて1964年の東京オリンピックのときに、代々木競技場を設計した丹下健三は、コンペで当選したもののの予算オーバーで、設計変更を命令されていました。

丹下は時の権力者田中角栄に直接電話をします。

丹下「設計変更を求められていますが、設計図をご覧になればお分かりいただけますが、変更はできません」。田中「いくら足りないんだ?」。丹下「×××円です」。田中「よっしゃ!」

アンビルト(建築されない)になる運命の代々木競技場は、田中角栄の力で、建設されました。

ザハ・ハディトは、安倍総理に、電話できませんでした。

シン国立競技場案は「アンビルトの女王」の傑作に新たな1ページを加えるだけに終わりました。

しかしいま、東京と日本を革新するザハ・ハディトのシン国立競技場は、小説家・九段理江により、建設され現実のものになりました。

 

3、『東京都同情塔』

小説家・九段理江は、ザハ・ハディト案の実現だけに終わりません。

神宮外苑に聳えるザハのシン国立競技場への回答を用意します。

それは、スカイツリー、東京タワーに次ぐ高さの「塔」を、神宮外苑の隣の新宿御苑に建てるというものです。

これもまたなんと美しい。

「塔は国立競技場という問いに対する完璧な回答である」(p.135)。

塔の名は『東京都同情塔』、その機能は刑務所。

未来の東京では、シン国立競技場と東京都同情塔、二つの巨大建築は同時にライトアップされ、完全に調和し、親密に話し合いでもするようになります。

小説家平野啓一郎は九段理江の受賞に対して、「圧倒的」と評しました。まさに圧倒的です。九段理江さん。芥川賞おめでとうございます。

30年後、50年後、100年後でも、シン国立競技場と東京都同情塔、この美しいアイディアが実現するように、私たちは努力すべきです。