北野武 VS 松本人志

コンテンツ・ビジネス塾「北野武」(2007-23)6/12塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

○「監督・ばんざい」 VS 「大日本人」。
東西のお笑いの巨匠、北野武ビートたけし)監督の「監督・ばんざい」と、ダウンタウン松本人志監督の「大日本人」の2作品が、同時に公開されています。
「監督・ばんざい」は映画監督・北野武が、次回作に何を撮ろうかと思い悩み、あれこれと試作してはあきらめる、まるで小説家が途中まで書いた原稿用紙を破り捨てゴミ箱に捨てていくような映画です。「大日本人」は、普通の生活をする男の人生を追ったドキュメンタリー仕立ての映画です。ただヘンなのは男がときどき、ガリバー、スーパーマンウルトラマンのような巨大な人間に変身し、特異なキャラクターの怪獣(映画では「怪獣」ではなく「獣」)と戦うことです。「ヒーローもの」で「生活もの」という変わった映画です。客の入りは、「大日本人」が「パイレーツ・オブ・カリビアン」に次いで第2位。「監督・ばんざい」は、第10位という結果が出ています(ビジネスアイ 6/8)。ともに数多くの観客に受ける映画とは考えられません。私が見たときは観客数10人、映画が終わるとみんな狐のつままれたような顔で席を立っていきました。どちらが、面白いか。どちらを映画として評価すべきなのか。北野は13作目、松本は1作目。ハンディはありますが・・・。
○コミック(笑い)、ファンタジー(夢)、カートーン(風刺)。
手塚治虫のまんが、チャップリンの映画、宮崎駿のアニメ、林家三平の落語。優れたお笑いは、コミック、ファンタジー、カートーンの3条件を備えています。
大日本人」は、獣(じゅう)の造形力ですばらしい。松本にはかつて「世界の珍獣」という食玩のフィギュアシリーズでヒットを飛ばした実績があります。松本は才能です。獣と巨大な普通の「大日本人」の戦い、これは相当ヘンです。コミックです。笑えます。ファンタジーは、ヒロイックな戦いにではなく、むしろ「大日本人」の日常にあります。父のこと、子どものこと、妻のこと、仕事のことを考える男の哀愁があります。平和な日常こそがファンタジーです。
問題は、風刺です。「大日本人」が、「アメリカが、どうの、こうの・・・」と話し始めるところから、おかしくなってきます。それがエンディングの訳の分からない「15分」につながります。多分、アメリカ批判なのでしょう。カンヌで外国のディレクターがその「15分」を絶賛したというのですから、うなずけます(日経エンタテイメント 2007,7)。フランスでは、アメリカの悪口を言えば一流だからです。
東京の渡辺プロ、ホリプロは、駐留軍回りのバンドマンが始めたアメリカかぶれの仕事です。芸能界は「親米」でやってきたのです(「親米と反米」吉見俊哉 岩波新書)。たしかに「吉本」は、吉本せいという日本人が始めたビジネスモデルです。しかしその吉本もひところは、ライバルにディズニーをあげました。それに松本自身の発想の根本もキングコングやスーパーマンアメリカそのものではありませんか。アメリカ批判に映画は不向きです。得意の文章でやったらどうなのでしょうか。書けばわかります。松本の言いたいことは、東京コンプレックスか、いま流行の鎖国なのではないでしょうか。
北野武は、ゴダール
「監督・ばんざい」は、ウルトラ・バラエティ・ムービーという、キャッチコピーがつけられています。が、これは北野武のテレです。実体は違います。「ある映画人の告白」というべき、私的な映画創作ノートです。北野は映画を壊し、映画を作ることを考えています。北野は映画とは何かを問い続ける、映画の前衛です。フランスの映画監督ゴダールと同じです。ゴダール「映画史」には、映画表現のすべてがあります。言葉、セリフ、叫び、朗読、動物の鳴き声、音、雑音、音楽。映像、写真、絵画、イラスト、文字。映像への問いかけがあります。北野は明らかにゴダールを意識しています。映画でピカソやりたい。映画のキュビズムでは、時間を壊す。「監督・ばんざい」には、映画に対するカートーン(風刺)があふれています。劇中劇は、「定年」、「追憶の扉」、「コールタールの力道山」、「青い鴉 忍PART2」、「能楽堂」の5作。人生も、ロマンスも、コミックも、アクションも、ホラーも、北野武はこともなげに映像にし観客を酔わせ、それを破り捨てゴミ箱に放り込んでいきます。北野の映画は、映画を作るものたちの映画です。客の信頼を裏切らないという、松本の映画とは違います。北野と松本、どちらに軍配をあげるか。クリエーターを目指すものは、北野にあこがれます。