香港の中国化?

コンテンツ・ビジネス塾「香港」(2007-26)7/4塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

○香港返還10周年
香港在住、香港映画で活躍しているスターの話です。「広東省に住んでいた私の父は、共産党政権が成立する前に、中国本土から香港に逃げてきました。そして私は香港で生まれたのです」
歴史の復習です。清朝が崩壊したのは1911年の辛亥革命。1912年に国民党が指導する中華民国が誕生します。しかし第2次大戦後、共産党が国民党を中国本土から台湾に追い出し、1949年に中華人民共和国が成立します。香港映画のスターの両親は、共産党政権を嫌って、香港に逃れてきたのです。しかしあこがれの自由の香港、そこは中国人が住んでいるのに、英国の領地でした。
なぜ香港は英国の領地だったのか。1842年の南京条約。英国とのアヘン戦争の結果です。アヘン戦争とは、英国が麻薬のアヘンを中国(清)に輸出することを認めろという、とんでもない戦争です。まず香港島が英国に、さらに1860年の北京条約で九龍半島先端が英国の領土となるのです。
1997年7月1日、英国の領土・香港は、中華人民共和国に返還されました。一国二制度。香港は特別行政区、今後50年間、自治権を持ちながら資本主義制度を継続するのです。
共産主義を逃れ、自由を求めて香港にきた、しかしその香港が共産党のものになる。香港人にとっての不安と希望、激動の日々が続きました。2007年7月1日、香港は返還10周年を迎えるのです。
○香港の中国化(中国の香港化)
香港返還の10年は「中国化」のキーワードでまとめられています。まず観光客。香港への観光客は2525万人(06年)。うち中国本土からが1359万人、全体の半数以上が中国人です(日経 6/28。ちなみに日本への外国人旅行者数は733万人)。言葉も広東語と英語から、北京語系の「普通話」が普及しました。MTR(地下鉄)の車内放送にも普通話が導入されています。つぎは経済。「経済緊密化協定(CEPA)」です。香港製品は関税ゼロで中国本土に輸出できます。香港企業の中国進出も優遇されています。日系企業も、香港企業とパートナーを組むことで中国本土に進出しています。人民元を両替、人民元を使えるショップも出てきました。とどめは株式市場です。香港の株式市場の時価総額は、10年前の4~5倍に上昇しています。首位のニューヨークや2位の東京に及ばぬものの世界第6位。「この10年でドイツやトロントを抜いた香港は中国の経済成長という”特急列車”に乗ってロンドン、東京、ニューヨークに並ぶ日も遠くない」(ビジネスアイ 6/26)、と言われているのです。
○「アジアのハリウッド」の衰退。
順調な経済とは反対に、エンターテイメントの香港は苦戦しています。1980年代の香港は年間300本の映画を制作する「アジアのハリウッド」でした。それが現在では年間50本に減少しています(日経 6/27)。もちろん活路は中国本土のマーケットです。しかし香港映画は経済のように優遇されていません。冷遇されています。中国政府の意向に従わなければならないからです。「中心思想は何か」。結末は「勧善懲悪」に。表現の独自性が失われてきているのです。
香港のライバル、同じ特別行政区マカオは好調です。石畳のモザイクのセナド広場、聖ポール天主堂などが「マカオ歴史市街地区」として、世界文化遺産に登録されました。中心部には米系資本の巨大カジノが続々とオープン、コタイ地区には米カジノ大手のラスベガス・サンズが3000室のリゾートホテルを稼働予定(日経 6/28)。観光客は2200万人(06年)と香港に迫っています。
香港映画には、日本映画のDNAがあります。日本映画のカメラマンが中国名に名前を変え、ブルース・リーを撮り、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」で有名な井上梅次監督は、昭和40年代に17本もの香港映画を演出しています。60年代の日活ニューアクション、70年代の東映ヤクザ映画の影響を受けた香港映画は、日本映画と兄弟仁義の関係にあります(「アジアのなかの日本映画」 四方田犬彦 岩波書店)。そしていまも、その関係は変わりません。父親の代に中国を逃れ、自由な香港で育った、香港映画のスターは、日本のアニメ、日本のゲームの熱狂的なファンだからです。
中国の国家主席は、10周年記念式典で「一国二制度は正しかった」と、誇らし気にスピーチしました。でも問題は、香港とアジアを面白くしたかです。香港映画の衰退は許せません。友人の香港映画のスターのために、「アジアのハリウッド」復活のために、なんとか香港の力になりたいのです。