エルヴィスを知っていますか。

コンテンツ・ビジネス塾「Elvis」(2007-34)8/28塾長・大沢達男
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○Graceland
エルヴィス・プレスリーを知っていますか。ひとりのアメリカ人の男性歌手です。30年前の8月16日に亡くなりました。もし知らないのでしたら、友だちに「エルヴィスって、だーれ?」なんて聞かないで、こっそりTSUTAYAに行ってCDを借りてください。「ラスベガス」なんとかではなく、「ゴールデンレコード第1集」、初期のものがいい。そして、iPodではなくラジカセで、大きな音にして聞いてください。どうです。すごいでしょう。これがエルヴィスです。
エルヴィス没後30年ということで、彼が住んでいたテキサス州メンフィスの「グレイスランド」には、命日をふくむ1週間に7万人以上の人が訪れ、たくさんの花や写真が飾られるそうです。日本では写真集「エルヴィス・プレスリー 21才の肖像」(アルフレッド・ワートハイマー 青志社)が発売され、カラオケの第1興商が没後30年に合わせて30曲を追加、合計74曲のエルヴィスの歌を楽しめるようにし、さらに郵便局ではプレスリーの記念切手を発売するのです(サンケイスポーツ8/16)。
グレイスランドといえば、小泉前首相です。一昨年ブッシュ大統領とともにここを訪問しています。エルヴィスの曲を報道陣の前で歌って、大統領をビックリさせ、アメリカ人のハートをがっちりつかみました。政治家のパフォーマンスに過ぎませんが、「エルヴィスを使う」、ここが小泉首相のすごいところです。エルヴィスは、単なるロックンローラーでしたが、アメリカの象徴だったのです。
○King of Rock'n roll
なぜエルヴィスがすごいのか。それは「黒人」のように歌う「白人」だったからです。エルヴィスの初めてのレコーディングは1954年の7/5、「ザッツ・オーライト・ママ」。マイナーレーベルからRCAに移籍しての初レコーディングは、1956年の1/10、「ハート・ブレイク・ホテル」。そこからあっという間にスーパースターになっていくのですが、エルヴィスは人種差別を音楽の世界からなくしてしまったのです。50年代のアメリカをいまからは想像できません。白人は白人、黒人は黒人、世界がはっきり区別されていたのです。音楽も別でした。白人の子どもは黒人のR&B(リズムアンドブルース)を聞くことができなかったのです。黒人音楽(レイスミュージック)は、人種的に劣るものの音楽だったのです(「エルヴィス・プレスリー」東理夫 文春新書)。
音楽は人種を越える。ラジオの電波はどこにでも行く。ドーナツ盤(78回転ではない45回転のレコード)は誰でも買える。ジュークボックスは誰もが聞く。エルヴィスを発見したした人々は、新しい時代の音楽=ロックを予感していたのです。闇に響く低音、青空に届く高い声、パンチの効いたシャウト、踊り出したくなるロックンロール、そして甘いバラード。エルヴィスの音楽は、それまでのだれにも似ていず、若者のだれもがまねしたくなる、魅力に溢れていました。
米国音楽、教会音楽、黒人音楽、この3つをエルヴィスは統合し、ロックを生み出しました。このことでロックは若者の言葉になりました。つまりそれぞれの国のメロディは、ハーモニーとビートで、世界に通用するロックになったのです。エルヴィスにあこがれたビートルズがそれを証明しました。
○Mamma's boy
エルヴィスは双子の弟として生まれています。兄は生まれときには息を引き取っていました。俺が死ねばよかった、彼は終生、罪の意識に苛まれます。エルヴィスと母のグラディスは特別に強い絆で結ばれるようになります。酒飲みの父に力を合わせて挑みます。エルヴィスがハイティーンになるまで、ふたりは同じベッドで寝ます。母と子だけの特別の料理、「バター1本であげたパンにピーナッツとバナナをはさんだサンドイッチ」を、食べ続けます。そして母が死んだとき、母を守ることが自分の人生と信じていた彼は、絶望し普通の人に変わってしまうのです。ですから、除隊以後のエルヴィス、つまり映画「ブルーハワイ」やラスベガス公演のエルヴィスは、ほんとうのエルヴィスではないのです(「エルヴィス・プレスリー」メンフィス・マフィアの証言 共同プレス)。
エルヴィスは母親っ子(ママズボーイ)だったのです。「ザッツ・オーライト・ママ」(もうヘーキさ、ママ)。はじめてエルヴィスが自分の音楽に開眼した曲は、偶然ではなく必然の産物だったのです。
ママは46才に、エルヴィスはママより若い42才に、薬づけで亡くなりました。