「恋空」がいちばんです。

コンテンツ・ビジネス塾「ケータイ小説」(2007-51)12/25塾長・大沢達男
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○映画「恋空」を見ていたキミたちがまぶしかった。
それはクリスマスから10日前、土曜日の午後の東京渋谷の映画館でした。中高生の女子生徒たちが映画「恋空」に集まっていました。映画館のなかの95%は女性。なぜって。数えたからです。100人ほどの観客のなかで、男性はぼくを含めて5人しかいなかったのです。数年前の映画「バトルロワイヤル」を思い出します。あの時は、95%が男子生徒でした。こんどはその反対です。こんなことめったにありません。ですから、「恋空」も「バトルロワイヤル」も、ちょっと異常な映画です。
異常は、映画が終わったあとにも起こりました。普通、エンドタイルが始まると、だれかしらが席を立ち帰り始めるのですが、だれひとりとして立ち上がるものはいません。それは場内が明るくなっても続きました。さらに異常が起こりました。だれともなく拍手を始めたのです。それもライブのときの怒濤のごとくのアンコールではなく、パラパラと遠慮勝ちの拍手が、とぎれがちに続いたのです。
映画は女子中高生の心を完璧にとらえていました。「恋空」は高校生の純愛ドラマです。「純愛」というのには、ちょっとした説明が必要です。これから見る人のことを考えて、ちょっとだけ、ストーリーの骨格について話します。普通の女の子が、ちょっと不良の男子との恋に落ちます。しかしその暴力的な男子が不治の病に落ちてしまう。それでもふたりは愛し合う。ごめんなさい。これだけでも重要なプロットの一部を暴露してしまっているのですが、このパターンこそが、「純愛」ドラマなのです。
○あなたは純愛ドラマを知っていますか。
純愛ドラマにはかずかずの名作があります。まず64年、浜田光夫吉永小百合の「愛と死を見つめて」。日本中を揺るがした政治闘争、安保事件のあとです。この純愛ドラマは、学生運動全学連のあとの大事件になりました。つぎは70年の「LOVE STORY」(ある愛の詩)。オリバー(ライアン・オニール)とジェニファー(アリ・マッグロー)の物語です。アンディ・ウイリアムスのラブストーリーは不滅のヒットソングとなって世界を駆け巡りました。そしてその後、ちょっとお休みが長く続くのですが、2004年になってまた大ヒット作が誕生しました。大沢たかお柴崎コウの「世界の中心で、愛をさけぶ」です。これらはみな、判で押したように同じ構成、ワンパターンの純愛ドラマです。もちろん「恋空」と同じです。
週刊誌「週刊文春」(12/20号)が、『「恋空」を襲ったパクリ疑惑』、というセンセーショナルなヘッドラインで読者の関心を惹こうとしていましたが、野暮というものです。「純愛ドラマ」はみな同じ構成。盗作、模倣、剽窃、なんでもオーケー、毎度毎度のワンパターンが、ヒットの法則だからです。
では純愛ドラマは、なぜヒットするのか。第1に考えられるのは、DNA(遺伝子)のドラマだからです。人間は、宿主である遺伝子の意思によって、生かされているといいます。純愛ドラマは、恋愛のパートナーを失う、つまり行き場を失うDNAの物語、最高度の失恋物語だからです。つぎに考えられるのは、脳科学的な考察です。純愛ドラマは、人間が人間たる大脳新皮質ではなく、大脳辺縁系ないしは脳幹に働きかける物語だからです。高度な精神活動ではなく、喜怒哀楽、食欲・性欲の動物としての基本的な欲求の危機を扱っているからです。まあここは学問での最新の研究テーマですが。
○ケータイ電話が生んだヒット作。
ただ「恋空」は、ほかの純愛ドラマと違うとことがあります。それは、ケータイサイト「魔法のiらんど(まほうのあいらんど)」で掲載が始まり物語が誕生し、ケータイ電話生まれの初めての大ヒット作になったことです。ケータイでの読者数が1200万人、書籍化(06年)されて200万部(上下巻あわせて)、そして映画で260万人動員、32億円の興行収入を記録したのです(数字は、前掲「文春」より)。インターネットといえば、05年に200万人を動員した映画「電車男」を思い出します。これは、電子掲示板「2ちゃんねる」の書き込みから生まれた恋愛物語でした。書籍化されたときの電車男(04年)の著者名が面白い、中野独人(なかのひとり=中の一人)。みんながよってたかって書いたけど、自分もその「中の一人」、だというのです。電車男も恋空も、ともにネットが生んだヒット作です。しかしこの2作には大きな違いがあります。パソコン時代の電車男、ケータイ時代の恋空、です。05年と07年。わずか2年の差ですが、日本のユビキタス社会は大きく変わろうとしています。