コンテンツ・ビジネス塾「ヒラリー」(2008-02)1/11塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、東京・帝国ホテル。朝9時、孔雀の間。
昨年、12/17(月)のことです。早朝の勉強会が帝国ホテルで開かれました。テーマは「2008年米大統領選と日米関係の行方」。会社の役員、それより年輩の、相談役、監査役、会長と思わせるような男性ばかりが、ざっと200人、女性はほとんどいません。ちょっと変な雰囲気の集まりです。シンポジウムを仕掛けたのは、日本経済新聞とCSIS(米戦略国際問題研究所)というよくわからない組織。ジョン・J・ハレム(クリントン政権の国防副長官)、ジョン・ポデスタ(クリントン大統領の首席補佐官)、J・D・クラウチ(ブッシュ政権の国際安全保障問題担当国防次官補、元駐ルーマニア米国大使)らによる、民主党と共和党の両政権の中枢のメンバーのディスカッションは緊張感溢れるものでした。議論の中味よりまず参考になるのは、米のエリートによるプレゼンテーションのスタイルです。イントロ、ボディ、コンクルージョンの3部構成の原稿を作り、しっかりとしたアイコンタクトのプレゼンテーションをする。MBA(経営学修士)の教科書通りです。だから簡単でわかりやすく内容が深いのです。詳細は、12/26の日経を参照。さて、いちばんの関心は、初の女性大統領は誕生するのかです。ビル・クリントンの首席補佐官であったポデスタ氏が、答えました。「米国では女性の方が投票所に足を運ぶ。最近では未婚女性の数が既婚女性の数を上回った。これらの人々の考え方は進歩的で(ヒラリー・)クリントンには有利に働く」。
2、ヒラリー・クリントン
ヒラリーは、ミーハーで魅力的です。しかも有能で、日本にとって手強い指導者になります。ヒラリーの父は、シカゴの郊外でカーテン生地の工場を経営していました。変わっていたのは、母・ドロシーの育ちが悲惨であったことです。祖父と祖母はドロシーを捨てたのです。「ホームレス中学生」どころか「ホームレス小学生」のようにして育ちます。ヒラリーはその悲惨を知っています。ですから根性が違う、お嬢さまではありません。でもヒラリーは、ミーハーです。1947年生まれのベビーブーマー。DNAにはポップカルチャーがあります。エド・サリバン・ショウのビートルズに興奮し、デートのときには、ビル・クリントンが歌うエルビス・プレスリーの歌にとろけていたのです。
つぎに、ヒラリーは優秀です。高校の卒業式のスピーチでみんなを感動させます。ビルとはイエール大学のロースクール(大学院)で出会います。ビルは当時から将来大統領になると信じられているほど存在感がありました。ヒラリーはそのビルからのプロポーズになかなかオーケーしませんでした。なぜなら彼女自身にも未来に対する野心があったからです。法律事務所で働き、ビルと結婚し、ファーストレディになり、上院議員に当選し、大統領選に立候補するようになるのです。
そして、ヒラリーには女性のネットワークがあります。母のドロシー、娘のチェルシー。ヒラリーは母親として全力でチェルシーを守り続けてきました。米国内では、エレノア・ルーズベルト、ジャクリーヌ・ケネディ、マデリン・オルブライト。世界には、マザー・テレサ、ダイアナ、ベナジル・ブット、ベルナデット・シラク、シェリー・ブレア、ナイナ・エリツィン。ヒラリーは彼女たちと親しく交わり、アドバイスを受けてきました。さらにヒラリーは世界の女性の象徴です。1995年に北京の国連世界平和会議で「女性の人権宣言」スピーチをし、世界中の女性の賞賛を浴びたからです。
3、ジャパン・パッシング。
ビル・クリントン大統領は、1998年に日本を通り越して訪中し、「ジャパン・パッシング」が話題になりました。ヒラリーはどうでしょうか。上記のヒラリーのデッサンは、「リビング・ヒストリー。ヒラリー・ロダム・クリントン自伝」(酒井洋子訳 ハヤカワ文庫)からですが、その中で日本について触れられているのは、3カ所です。ホワイトハウスを訪れた天皇皇后両陛下、G7東京・サミットでの宮中晩餐会、
そしてG8デンバー・サミットでの橋本久美子(橋本首相夫人)です。美智子皇后には感動したでしょうが、橋本夫人について書かれた1行はただの配慮でしかありませんでした。ヒラリーの女性ネットワークに、政治家も経済人も文化人も、日本女性は入っていません。「日米関係の行方」よりそのまえに、ヒラリーと友人になれる日本女性がいるのでしょうか。「女性の品格」?そんなの関係ねー。田中眞紀子、櫻井よしこ、片山さつき・・・・・・。