コンテンツ・ビジネス塾「周防正行」(2008-09) 3/4 塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、映画「それでもボクはやってない」は、何を描いたか。
東京郊外の朝の通勤電車。電車から降りてきた26才のフリーター(加瀬亮)がホームで、15才の女子中学生に袖をつかまれ、「あなた痴漢したでしょう」と呼び止められる。フリーターの男はまったく身に覚えがなく否定するが、一緒に下りてきた男性がふたりのトラブルを聞きつけ、少女に味方し、3人は駅の事務室に行くことになる。
フリーターは、駅の事務室から警察に移送され本格的な取り調べを受けるようになる。当然否認する。絶対に「おとして」やると、刑事は怒る。フリーターは留置される。弁護士が来る。否認を続けると、3週間はもちろん、3ヶ月〜6ヶ月も拘留されることもある。もし裁判をやっても、99.9%有罪。無罪は1000件に1件。いま認めて示談すればそれでおしまい、とアドバイスされる。やがて検事の取り調べが始まる。検事(副検事)も無実を聞き入れてくれない。当然のように起訴。裁判が始まる。
弁護人は(役所広司)、「疑わしきは被告人の利益に」、「痴漢えん罪事件には刑事裁判の問題点が現れている」と考える良識派。裁判官にも恵まれる。彼は「刑事裁判の最大の使命は無実の人を罰してはならない」と主張し、実際に無罪判決も出しているのだ。フリーターは救われるのか。しかし、裁判官が突然変わり、フリーターの運命は危うくなる。
弁護士と支援者たちは懸命の努力をする。電車の中の再現ビデオを作ってみると、被害者の言葉に矛盾がでてくる。さらに、事件当日「この人が痴漢じゃない」と言った、目撃証人も出てくる。フリーターの無実はほぼ証明できるようになる。そして、公判12回、判決の日を迎えることになる。
2、周防監督は、どう描いたか。
映像美、奇想天外のモンタージュとは無縁の映画です。ドキュメンタリータッチで、事実をねばり強く撮っていく映像に説得力があります。拘置所、刑事と検事の取り調べ、裁判所の風景。どれもリアリティがあります。弁護士の役所広司が光ります。包容力のある表情、しっかりしたセリフ、ファッションとは無縁のスーツ姿、この役以外考えられない、と思えるほどピッタリです。フリーター役の加瀬亮も、何となくふて腐れていて、いいです。裁判の問題点とは、
1)日本の裁判では無罪は許されない。無罪判決を出す判事は、警察を検察に対立するものとして、なんとなく追い出されていく。2)従って、裁判官は無罪に臆病である。3)だから?、弁護士は、刑事裁判を避けたがる。働いても金にならない。報われない。
つまり「疑わしきは罰せず」は、日本の裁判ではありえない。それを周防監督は描きました。
3、やってないなら、駅の事務室に行くな。
痴漢問題で、青春の1年を浪費した映画の主人公のフリーターも悲劇ですが、現実はもっと深刻です。「公認会計士vs特捜検察」(細野佑二 日経BP社)では、不当に逮捕された公認会計士が真っ向から検察と裁判所を批判しています。この本を日経紙面で書評をした鹿野嘉昭同志社大学教授は、経済事件捜査の不備として、ライブドア事件、村上ファンド事件も射程に入れています(日経 1/20)。出版社が左翼系ではなく日経BP社というのも驚きです。
先頃有罪が確定したヤメ検(検察官から弁護士に転身した)田中森一(もりかず)弁護士の特捜検察の内幕暴露も鮮烈でした。「特捜の思惑を通すためには、事実を曲げることだって厭わない」「裁判官の人事評価には『検事から控訴されないこと』と入っている」(文芸春秋07.12)。さらに現在いちばん活躍している書き手の佐藤優氏が裁判中というのもおかしな話です。
しかし、しかし、裁判はむずかしい。「それでもボクはやってない」で、フリーターに無罪判決が出たらどうなるのでしょうか。顔を隠してまで出廷して争った、15才の女子中学生の勇気はどうなるのでしょうか。社会は、痴漢容疑者を放免した裁判所の勇気を、たたえるでしょうか。映画はきわめてうまくできています。日本アカデミー賞、キネマ旬報ベストワン、ブルーリボン賞などのさまざまな賞に輝いた、2007年の日本映画の代表作です。最後にこれから都会生活を始めるきみへのアドバイス。やってないなら、駅の事務室に行くな。そこから有罪は一直線です。