コンテンツ・ビジネス塾「ロックンロール京都」(2008-15) 4/22塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、磔磔(たくたく)。
京都といえば、金閣寺でも、清水寺でも、寂光院でもありません。70年代、若者にとっての京都はロック音楽のメッカでした。その中心にあったのが「磔磔(たくたく)」という、音楽喫茶、いまでいうところのライブハウスでした。
1966年6月30日にビートルズが来日して、日本にグループサウンズ(GS=和製英語)とフォークソングの時代が訪れます。しかし70年代になって、これらとまったく違う音楽の流れが、関西に始まります。同志社大学の学生を中心に結成された「ウエストロード・ブルーズバンド」(72年)、京都市出身の「上田正樹とサウストゥサウス」(74年)、大阪出身の「憂歌団」(75年)です。どこが違うのか。ひとことで言ってしまえば、彼らは国境を越える「音楽」をやりました。活動を見れば明確です、彼らは外国のミュージシャンとさりげなくさまざまなコラボレーションをしています。GSの世界ではあり得ないことでした。本場の音楽とコラボする本物の音楽のメッカが、京都の「磔磔(たくたく)」でした。
2、ウエストロード・ブルーズバンド(西大路演歌隊)。
本場の音楽とコラボできる本物の音楽とは何か。磔磔(たくたく)の音楽とは何だったのでしょう。
1)ニュージェネレーション(若者)の音楽でした。
70年代のロックは特別の意味を持っていました。文化革命の象徴でした。ジーンズとドロップアウトとゲットバックの音楽でした。音楽はダーティーな古い世代とフリーな若者を対立させました。Don't trust over thirty.(30以上を信用するな)。磔磔(たくたく)には新しい若者が集まりました。
2)ロックの本流の音楽でした。
ロック&ポップスの源流には、黒人音楽、教会音楽、カントリー&ウエスタンの3つのアメリカ音楽があります。米国でレコードをいちばん売ったプレスリーを聞けば明解です。ビートルズの音楽の源流にも、黒人音楽や教会音楽、そして米国のカントリー・ミュージックに代わってスコットランド民謡があります。磔磔(たくたく)の音楽は、黒人音楽にフォーカスし、関西弁でのロックを作りました。
3)芸能プロと無縁の音楽でした。
ホリプロの堀威夫さん、渡辺プロの渡辺美佐・晋さんは、米兵相手の進駐軍クラブで仕事を覚えた人たちです。こう言うと生々しいんですが、日本の音楽シーンは、「進駐軍放送」から生まれ、育てられてきました。磔磔(たくたく)の音楽は、芸能界からは無縁の、つまりテレビに登場しない若者が作ったものでした。
3、スキマノザラシ(隙間野ざらし)
2008年4月、さくらが咲き、さくらが散る京都。四条と烏丸の南西。オープンして34周年の磔磔(たくたく)は、何も変わっていませんでした。錦市場の鮮魚店「大安」で、カキとホタテで白ワインをいただき、大人と東京者のバリアーを脱いで若者に戻ってから、歩いて10分のお店に向かったのです。
6時30分、ステージの前のいい席にはもうお客さんが、2~30人ほど入っていました。東京のクラブとは客層が違います。おしゃれな大人です。開演10分前、壁ギワの席に座っていた私のとなりに白人系の男性がやってきました。
「・・・ボクは東京から30年ぶりにこの店にやってきたんだけど、キミはどこから来たの」「ニュージーランドさ。京都に住んでいるよ。・・・・高校の英語の教師だよ」「ニュージーランドか、残念ながら行ったことないけど。音楽事情はどうだい。UK(英国)とUS(米国)どっちの影響が大きいんだろう」「日本と同じだよ。両方ともさ」「・・・ところで、日本人のボクがキミに聞くのもおかしんだけど、きょう出演するスキマノザラシってどんなバンドなの」「ぼくはきょうで彼らのパファーマンスを見るのは4度目だよ。イギーポップもしくはローリングストーンズ。ぜったい楽しめるよ」
ニュージーランドの若者の名前はロベルト、彼がいう通り、「スキマノザラシ」はたしかにローリングストーンズでした。いつの間にか会場は満員。やがてロベルトと私の間に、30代のキャリアレディが入ってきました。会話には彼女も加わってきました。「ワタシ、来週フランスに行くの・・・」。そうして、磔磔(たくたく)は、京都という地球都市のライブハウスに変わっていったのです。