バウハウスが常識になるなんて。

コンテンツ・ビジネス塾「バウハウス」(2008-22) 6/3塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、クール・トウキョウアイト(かっこいい東京の人)
休日、湘南に行く電車が空いています。ビーチはサーフィンとバレーを楽しむ若者たちでにぎわっていますが、サザンオールスターズでおなじみの江の島に行く電車はラクに座れます。窓から電車に飛び乗る人もいた、決死的な70年代の混雑は、最早過去のものです。日本の人口は減ってきた、日本は元気がなくなってきた。海に向かう電車だけを見ればそう思えます。
しかし、郊外に行く電車ではなく、都心の公園に行って見ると、違う発見があります。東京でいちばん住みたい街・吉祥寺にある井の頭公園の休日はごった返しています。70年代の井の頭公園を知っているものは驚きます。人影はまばら、静寂そのもの、都会の影でしかありませんでした。絵やイラストやファッションを売る人、大道芸や音楽をやる人なんていませんでした。
江の島に行く人が、行き先を変えて静かな井の頭公園にきているのでしょうか。どうも違います。東京の人が変わってきたのです。井の頭公園には、クール・トウキョウアイト(かっこいい東京の人)が、新しい表現を生み出すために、集まってきているのです。
2、バウハウス(BAUHAUS)
かっこいい東京のなかでも、ちょっとおすましした東京芸術大学の大学美術館。そこで、世界でもおしゃれな「バウハウス」展が開かれていました。こちらも満員。集まっていたのは、業界人でも、芸術家志望でもない、ストリートにいるクール・トウキョウアイト(かっこいい東京の人)です。
1)グラフィック・デザイン
バウハウスは広告、チラシや紙幣をデザインしています。タイポグラフィを使った、カチッとしたものです。オレンジとブラックの配色が好きです。レイアウトの基本はここにあります。
2)家具デザイン
水差し、イス、ベッド、照明・・・家具のデザイン。いずれも直線、立方体、円筒、円錐で構成されるものです。ソファのデザインは現役です。築地の旧電通本社では、お客さま用に使われていました。
3)建築
創立者の校長グロピウスは、建築家でした。バウハウスの最終目標は建築であると宣言されていました。残された作品は、直線で構成されたミニマル・ミュージックのような完璧な建物ばかりです。
4)写真
今回の展覧会のいちばんの収穫は、展覧会のカタログに収録された学生たちのスナップです。
ニッカーボッカー姿がかわいらしい男子学生がいます。農夫のように太い足をした女子学生がニッコリ笑っています。いまから90年前の若者もやはり、いまと同じ若者という人間の傑作です。
バウハウス(1919~1933)は、造形美術学校と工芸学校の統一校として誕生した学校の名前です。デザインという言葉は、バウハウスによって「デザイン」されました。デザインとは、「美」と「用」、美しくて役に立つ物の制作。デザイナーとは、アーティスト(芸術家)でアーティザン(職人)です。
3、バウハウスのその後
バウハウスによって確立されたデザインは21世紀になってどうなったのでしょうか。
ふたつのことを考えてみます。ひとつは世界に影響を与える100人のひとりに選ばれた村上隆です。デザインはバウハウスによって「美」と「用」と規定されましたが、村上はさらに「商」を加えました。村上はデビューにあたり、アートの本場で認められること、というマーケティング戦略を立てました。「ロンサム・カウボーイ」が16億円で取引されたことで、その目的は達成されています。村上は、神聖な芸術の仮面をはぎ取っただけでなく、デザインを「美」と「用」と「商」に拡張しています。
もうひとつは日本の若者に人気のある「ゴス」ファッションです。ゴスの源流にあるのは、バウハウスとおなじヨーロッパのゴシック建築です。ゴシックから論理と理想の優等生・バウハウスが生まれ、情念と頽廃の不良・ゴスが生まれたのです。
ビジネスの村上か、不良のゴスか。いずれにしても、基本はバウハウス。集まったクール・トウキョウアイト(かっこいい東京の人)は、きっとデザインの基本をマスターして帰ったに違いありません。