五十嵐喜芳は、まだまだ色っぽい。

コンテンツ・ビジネス塾「五十嵐喜芳」(2008-48) 12/29塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、不滅のテノール
天才とは努力する才能であると言われますが、疑問です。
ノーベル賞受賞者には、私の小学校時代は落第生でした、という話が登場します。しかしそれは学問、つまり論理と理性の「知能」の世界の話であって、芸術、つまり感性と野性の「才能」の世界には当てはまりません。発明王エジソンの小学校時代は落ちこぼれでしたが、喜劇王チャップリンは子役時代から一流の笑いを取れる役者でした。モーツアルトピカソも生まれたときから、音楽と絵画での天才でした。一念発起の努力で才能を開花させたわけではありません。
12/23 「テアトロ ジーリオ ショウワ」(昭和音楽大学)での「五十嵐喜芳クリスマスコンサート」を聞いて、ますますその思いを強くしました。五十嵐は今年80歳。昭和の時代に日本を代表したテノール歌手です。五十嵐の才能は枯れていませんでした。
偉そうな芸術評論が目的ではありません。コンテンツの時代を迎えて、私たちはだれもが表現をするようになりました。しかし表現とは才能の仕事であり、努力で仕事ができるのではないからです。2、五十嵐喜芳 クリスマスコンサート
五十嵐喜芳(1928~)は、日本を代表するテノールの第1人者です。東京芸大在学中に日本音楽コンクール声楽部門で優勝、オペラ歌手としてデビュー、1985年に藤原歌劇団総監督、1999年〜2003年新国立劇場オペラ芸術監督、2000年からは昭和音楽大学学長に就任しています。コンサートが開かれたの自らの大学のコンサートホールで、司会を令嬢のソプラノ歌手五十嵐麻利江
さんが務めるアットホームなものです。
娘「きょうはクリスマスコンサートですから、『きよしこの夜』を歌いましょう?」
父「ぼくはあまり歌いたくないんだ」
父「・・・・・・だってボクの名前は『キヨシ』だから」(会場。笑い)
芸術家気取りの音楽会ではありません。地元川崎市麻生区のコーラスグループも参加し、観客にも歌いましょうと呼びかける、楽しむコンサートです。会場を埋めた観客は、団塊の世代より、やや高め。そしてグンと若い昭和音楽大学の学生たちです。
五十嵐の聞かせどころは、日本の歌です。
「この道」、「待ちぼうけ」(山田耕筰作曲 北原白秋作詞)、荒城の月(滝廉太郎作曲 土井晩翠作詞)、「落葉松(からまつ)」(小林秀雄作曲 野上彰作詞)です。
五十嵐の天才は声の質にあります。それが哀愁を帯びた五十嵐節になるのです。そしてボリューム、豊かな声量です。それはほかの数十人のコーラスのメンバーと歌うときに際立ちます。五十嵐だけ違う声、天性の楽器を持っているのです。高音の伸びとつやに欠ける、連続して歌えない。高齢からくる難点はあるにせよ、五十嵐は五十嵐でした。とくに「落葉松(からまつ)」は、見事でした。五十嵐はキズのない作品に仕上げたのです。観客はドキドキしながら耳を傾け、息が詰まりそうになりながら、傑作が生まれる瞬間に立会えたのです。
3、才能
娘「舞台の袖で聞いていて、もし父でなかったら、私はあなたのとりこになっていたでしょう」
父「・・・・・・あなたは、ローマで生まれたから、・・・イタリア人のようなものの言い方をするのですね」
娘「どうしたら、あんなふうにうまく歌えるのかしら、教えていただきたいくらいです」
娘「・・・お年なのに、どうして、声がしっかり出るのですか。50代後半にしか思えませんが」
父「声を飛ばすんですよ」「のどから声を出してもダメです」「鼻から息を吸って、横隔膜にためて、スーと吐く」「いまでも、一日100回以上やっています」
努力から才能が生まれるのではない、神からもらった才能を人間の努力が守っているのです。五十嵐の才能は、私たち素人のど自慢の野望をノックアウトします。
総表現社会」という脳天気なキャッチコピーを信用しません。来るべき社会は才能の時代です。才能が眠っていませんか。あなたは、あなたと、あなたのとなりの才能を、無視していませんか。