韓流には魔力があります。

コンテンツ・ビジネス塾「韓国映画」(2009-42) 11/24 塾長・大沢達男
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1、『母なる証明』。
韓国映画が「韓流」と呼ばれ、注目されるようになってから、10年が過ぎました。韓流ブームにひところの勢いはありませんが(とはいえ「TSUTAYA」には、巨大な「韓流」コーナーがあります)、いま公開されている『母なる証明』は、見なくてはならない韓国映画です。理由はひとつ、映画に「魔力」がある、ポン・ジュノ監督の作品だからです。
映画の主人公は、知恵おくれの青年とその母親です。青年は知的障害を利用され、女子高校生殺人の容疑者として逮捕されます。無学な母親は、たったひとりで育てた息子を守るために立ち上がり、警察権力に戦いを挑みます。
この作品の魅力は、事実を積み上げ、論理的に犯人を推理する、ミステリー映画であることです。つまらない作劇に飽きた私たちは、嬉々として映画が出題する謎に挑むことができます。つぎの魅力は、母親が敢然と権力に立ち向かうことです。平和ぼけの私たちは知らずに、拳を握ります。そしてもうひとつの魅力は、母親と息子の強い絆です。親子の絆を忘れた私たちは、愛に涙します。
母は、名優キム・ヘジャ、息子は、美男ウォンビン。貧しい田舎町で、キム・ヘジャがアクの強い母を演じ、ウォンビンが知的障害のある青年を演じる、そこに韓国映画の豊かさを感じます。
2、ポン・ジュノ監督。
ポン監督の前々作『殺人の記憶』(2003年)は、現実に起こった猟奇連続殺人事件をテーマにしました。このドラマでも事実を積み上げる手法が使われています。そして警察権力をターゲットにしています。容疑者に自白を強要するための数々の拷問が描かれます。権力の暴走です。さらに警察の中の話ですが、刑事同士と、上司と部下の、ジーンとくる熱い人間関係が描かれています。
前作「グエムルー漢江の怪物ー」(2006年)は、川に誕生した怪物映画ですが、ここでも怪物にさらわれた少女の居場所を推理するために、事実を積み上げるミステリーの手法が用いられています。そして反権力もあります。防疫にあたる保健所ないし厚生省の役人たちの横暴ぶりが描かれます。怪物グエムルとは、実は米国と韓国政府のことです。民衆は火炎ビンを投げつけ怪物と戦います。さらに、居眠りをしてばかりいる間抜けな主人公とその家族の暖かい絆も描かれます。
ポン・ジュノ監督の映画で私たちは、事件の謎に挑み、権力に拳を握り、人間の愛に涙します。つまり理屈の頭脳も、怒りのハートも、愛する本能も、みんな気持ちよくなるのです。なぜそんなことが可能か。いい映画にはそういう魔力があるからです。
映画の魔力は、どこから生まれるのでしょうか。まず、論理的に構成された脚本、言葉。つぎに、クローズアップの刃物、草原で踊る母、美しい山並みに豆粒ほどの人間、レンズワーク、カメラワーク、モンタージュ、映像。そして、『母なる証明』のエンドタイトルに象徴される音楽、音です。
3、386世代
日本の「団塊の世代」のように、韓国にもかつて「386」と呼ばれた世代がいます。30代で、80年代に学生で、60年代に生まれた人たちです。1969年生まれのポン・ジュノ監督もその一人です。
ほかにも386世代には、スターと呼ばれるにふさわしい監督がいます。まず、「JSA」を作り「オールド・ボーイ」でカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いたパク・チャヌク監督(1963年)、「シュリ」を作り「ブラザーフッド」で「JSA」の興行記録を抜いたカン・ジェギュ監督(1962年)、明るい青春映画「猟奇的な彼女」、「ラブストーリー」のクァク・ジェヨン監督(1959年)、そして女性の立場から激しいセックスを描いた「密愛」のビョン・ヨンジュ監督(1966年)がいます。386世代は、軍事独裁政権に反発するだけでなく、民主化の彼方に、南北統一という大きな夢を見つめていました。つまり彼らは革命を目指していたのです。「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」(『斜陽』太宰治)。言い換えれば、映画の魔力は恋と革命を描くときに発揮されます。ポン・ジュノ監督作品と上記の韓国映画を、同世代の日本映画、米国映画、ヨーロッパ映画と較べて、ランキングするとどうなるでしょうか。上位は韓国映画に独占されるのではないでしょうか。「韓流」は魅力だけでなく、「魔力」があります。