『恋人も濡れる街角』から始まり、『明治天皇と日露大戦争』で終わった、青春の物語。

THE TED TIMES 2023-20「目黒シネマ」 5/24 編集長 大沢達男

 

恋人も濡れる街角』から始まり、『明治天皇と日露大戦争』で終わった、青春の物語。

 

1、中村雅俊

ちょっとナンパを気取ったときに、『恋人も濡れる街角』を歌います。桑田佳祐の作詞作曲ですから、ナンパといっても若々しく、スケベなおじさんと誤解もされません。

おなじ中村雅俊の歌『ふれあい』は正反対の雰囲気を持っています。こちらは山川啓介作詞、いずみたく作曲、悲しみを歌っていますが清々しい青春の歌です。いうなればちょっとカマトトです。

影と光、この2曲をうまく歌い分け、私はプレイボーイを演じています。まあそんなことはどうでもいい。

先日、『恋人も・・・』の正確な歌詞が気になって、ネット調べていました。そうして、『恋人も・・・』が映画『蒲田行進曲』で使われた曲であることを知ります。

驚きました。映画を見ているのに、全く知りませんでした。で、DVDでも買おうかと、これまた映画『鎌田行進曲』をネットで調べました。

すると驚き桃の木山椒の木・・・『鎌田行進曲』を上映している映画館があるのを知ります。うそ・・・。

「目黒シネマ」、JR目黒駅のそばにある映画館です。しかも『蒲田行進曲』は、5月20日土曜日、今日から上映開始ではありませんか。

ネットで座席を予約できない映画館です。14時40分の回がある。で、すぐに出かけることにしました。

2、深作欣二

蒲田行進曲』は、つい昨日の映画のように思っていましたが、なんと40年前1982年の作品でした。

出演は、松坂慶子風間杜夫平田満高見知佳など。原作はつかこうへい、そして監督は、なんと深作欣二でした。

舞台は京都撮影所。大スター・銀ちゃん(風間杜夫)に憧れる大部屋俳優・ヤス(平田満)がいます。ある日銀ちゃんがヤスに持ちかけます。

女優の小夏をはらませてしまった。スターの俺は子供を持つわけにはいかない。ヤスが小夏と結婚して、子供を育てくれないか。

銀ちゃんすべてのヤスは、一も二もなく、OKします。

そこから収入のない大部屋のヤスの苦労が始まります。危険だけどもギャラの良いスタント出演をつぎつぎ受け、キズだらけの俳優生活で小夏と生活を支えます。

そしてとうとうヤスは、39段の階段を転げる落ちる、生きては帰れぬ危険な役を引き受けます。

私はこの映画が深作欣二監督であることを知りませんでした。映画が始まって知ってような大ボケものでした。

さすがでした。撮影、編集、MA(音付)、完璧、レベルの高い映画。劇中劇として、新撰組のシーンがあります。その殺陣が最高です。ヴァイオレンス映画の巨匠、編集も見事です。

序破急。静と動。ドラマツルギー。完璧の映画です。事実、日本アカデミー賞最高作品賞を獲得しています。

大スターと大部屋俳優、ちょっと外国人にわかりにく話でなかったら、カンヌ、ヴィエネチア、ベルリンの国際映画祭でも活躍できたはずです。映画『パラサイト』(ポン・ジュノ監督)に負けていない。

さらに映画企画の段階では、銀ちゃんは松田優作、ヤスは宇崎竜童だったと聞きます。ウーン?この映画も見たかった。

深作欣二監督は、『仁義なき戦い』(1973~80年)で有名ですが、私は『県警対組織暴力』(1975年)が好きです。なぜなら脚本が笠原和夫だから、ヤクザ=前近代vs 県警=近代、日本の根本的な課題が描かれています。

3、大蔵貢

さらに、『蒲田行進曲』を見終わってから、「目黒シネマ」がとんでもない映画館であるあることを知ります。

「目黒シネマ」は大蔵映画(株)が運営、そもそも目黒金龍座、目黒ライオン座でした。開館したの大蔵映画の大蔵貢(1899~1978)でした。

大蔵貢は、9人兄弟のうち5人を失う貧しさの中で育ち、活動写真の活弁士から新東宝の社長にまでのし上がり、その後ピンク映画大蔵映画を経営した男です。

大蔵貢を有名にしたのは、なんと言っても映画『明治天皇と日露大戦争』(1957年)です。日本のすべての人を映画館に誘った、といっても過言でないほどの大ヒット作です。

そして女優・高倉みゆきとの関係がスキャンダルなったとき、「女優を妾にしたのではなく、妾を女優にした」の発言で、有名なります。

私は新東宝の撮影所があった砧(きぬた)に住んでいました。『明治天皇・・・』の撮影のセットをいつも見ていました。大蔵映画が用賀の方に移ったときもその前をいつもバスで通っていました。

青春時代はいつも大蔵貢と一緒でした。大蔵が天国と地獄を見たように、私も青春の光と影の日々を送りました。

恋人も濡れる街角』(中村雅俊)で始まった私の旅は、『鎌田行進曲』(深作欣二)の思い出なり、最後は「目黒シネマ」(大蔵貢)の青春の蹉跌になりました。

2023年5月20日土曜日、私は過去へのセンチメンタルな旅をしました。