ハロー!ヤンキー。バイバイ!オタク。

コンテンツ・ビジネス塾「ヤンキー」(2009-44) 12/8塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、オタク対ヤンキー。
「オタク」は、現代の若者を語るときに欠かせないキーワードで、アニメ、ゲーム、マンガで代表されるクールジャパン(かっこいい日本)の担い手として世界中で認知されています。
ところがこのオタクに対して「ヤンキー」が、若者文化を語る上でより有効であると急速に注目され始めました。まずヤンキーの代表と言われる「矢沢永吉」は、日本でナンバーワンの歌手のひとりです。つぎにその矢沢は、日本を代表する企業、ソニーサントリーユニクロなどのCMに出演しています。そして驚くべきは、日本経済新聞が矢沢の特集を、8月から月に一回、全ページで読者に提供していることです。ヤンキーとは、茶髪の不良、特攻服の暴走族、リーゼントのツッパリのことです。矢沢永吉だけではありません、ヤンキーは見直され、期待される若者像になってきています。
2、矢沢永吉
矢沢は、1972年ロックバンド「キャロル」のリードボーカルとしてデビューします。当時はロックやフォークの全盛時代、ロングヘアーにTシャツ&Gパン、もしくは短髪でホンコンシャツ(半袖のYシャツ)&コットンパンツがファッションの主流でした。そこに矢沢は、リーゼントに革ジャン上下のスタイルで登場しました。ケンカが強そうで、教養なさそうな、不良の登場でした。そして実際に、有名クリエーターが打ち合わせのあとにエレベーターの中で矢沢に殴られた、という噂話が業界に広がりました。矢沢をサンプルにヤンキーとは何かを考えてみます。
○「職=食」。矢沢の少年のころの夢は事故車修理の「板金屋」でした。貧しさから抜けだし、食えるなら何屋でもよかったと矢沢は言います。○「マ二ー」。「俺(おれ)のマニー(金)、取り分は?芸能界で最初に言ったの、僕ですよ。だからYAZAWAって下品っていうイメージあったでしょ」。○「ボス」。公演では数十人のスタッフ全員が矢沢をボスと呼びます。矢沢チームは、「しばいて、しばいて、上に上がるジャパニーズスタイル」です(日経8/1、9/5、10/24、11/28)。
1)ヤンキーはいつまでも大人になれない「ピーターパン」ではありません。結婚し家庭を大切にします。オタクは、好きな仕事で自分らしく生きたいと考え、ニートやフリーターに転落しています。
2)ヤンキーはエリートではありません。どんな仕事でもします。成り上がりを狙っています。オタクは、クリエーター信仰があります。引きこもりでゲームやネットをして生きています。
3)ヤンキーは東京中心ではありません。上下関係を大切にし地方に根付いています。オタクは都会中心主義です。ひとりでコンテンツ産業やネットが発する情報を食べて生きています。
3、浜崎あゆみ
ヤンキー論は、矢沢永吉から29歳年下の浜崎あゆみへと展開されます。浜崎あゆみとは、史上初3年連続レコード大賞(2001~2003)に輝いた、日本ナンバーワンの女性歌手です。
1)ケータイ小説と映画でヒットした『恋空』(上下で140万部売上げ)は、浜崎あゆみの歌詞をベースに書かれています。その内容、レイプ、中絶(流産)、不治の病、恋人の死は、ヤンキーの機関誌である暴走族の雑誌に投稿されたものと同じものです。
2)ケータイ小説の舞台は東京ではありません。どこか分からない地方都市です。地方を抜け出せない、抜け出したくない、反エリートたちの物語です。
3)暴走族雑誌が「にんげんだもの」の詩人・書家・相田みつをの特集を組んだことがあります。意外な組み合わせに驚きます(『ケータイ小説的。"再ヤンキー化"時代の少女たち』速水健朗 原書房)。
浜崎の歌はすべて浜崎自身が作詞しています。どれも不幸を歌った歌です。それは浜崎が父によって捨てられた家庭に育ったからです。そこが浜崎(福岡出身)と矢沢(広島出身)の共通点です。矢沢は母に捨てられた家庭に育ち、8歳で被爆者の父を失い、祖母に育てられています。ヤンキーは、差別されてきました。なぜなら、仲間にエリートがいないから論じられず、地方の文化だから話題になりませんでした(『ヤンキー文化論序説』五十嵐太郎編著 河出書房新社)。
故ナンシー・関は、日本人の3大特徴として、ヤンキー、オタク、ミーハーをあげました。ヤンキーとは歌舞伎の源流になった「傾く(かぶく=異様な身なりをする)もの」です。ヤンキーを夜露死苦