クリエーティブ・ビジネス塾21「黒田清輝」(2016.5.9)塾長・大沢達男
「黒田清輝の裸体画は、西洋美術のヌードではない」
1、智・感・情
1901年(明治34年)の美術展で「腰巻き事件」が起こります。黒田清輝のヌード画「裸体婦人像」の下半身が布で覆われ展示されました。何とも滑稽な話ですが、「裸体画論争」の結果です。
ヌードを取り締まる側は、裸体画は公序良俗をみだす、ヌードは風俗を紊乱(びんらん=みだす)するものである。それに対して、黒田清輝を代表する芸術家は、ヌード(裸体画)は肉体と精神を統一した人間の全体性をあらわすものであり西洋美術のお手本である、ヌードとは美の理想像である、裸体画は新しい美術を社会に公認させるための手段である、と主張しました。そして、「腰巻き事件」になりました。
「腰巻き事件」の黒田清輝(1866~1924)展(東京国立博物館 平成館 2016.3.23~5.15)が開かれています。会場を訪れてビックリします。人だかりの多さ、展覧会の人気です。人気は、「読書」(1891)、「湖畔」(1897)、そして「腰巻き事件」の「裸体婦人像」(1901)、さらに「智・感・情」(1899)。なかでもヌードの「智・感・情」の人気は際立っていました。やはり特殊な作品です。
この作品の不思議の第1は、「智・感・情」というタイトルです。1900年のパリ万博には、「Etude de Femme(女性習作)」というタイトルで応募され、銀賞を獲得します。「智・感・情」は英文で「Ideal、Impression、Real」ないしは、「Wisdom、Impression、Sentiment」と翻訳されます。智とは、理想、知恵、理性です。感とは印象、感覚、感性です。そして情とは、現実、感傷、野性です。
第2の不思議は、絵画の手法です。日本画のような黄金色を背景に、女性の裸体が描かれています。しかも黒髪、白人ではなく黄色の肉体を持っています。
そして第3の不思議は、女性の3つのポーズです。頭に手を添えた「智」、正面を見つめ手を拡げた「感」、そしてうつむきかげんに表情を曇らせた「情」。いづれも女性は媚態(びたい=男にこびるなまめかしい女の態度)を作っていません。
「腰巻き事件」を起こした黒田清輝の裸体像は、黒田の主張を裏切り、西洋画のそれとは根本的に違います。西洋画の女性の裸体像は媚態(びたい)を演じているものが多い、媚(こび)を売っています。それはたとえば黒田の師を務めたラファエル・コランの絵を見ればわかります。女性はみな誘っていて、下品です。初期の黒田もそうです。パリで展覧会応募のために描いた「マンドリンを持てる女」(1891)はいやらしい。しかし黒田は日本に帰りそのスタイルを改めます。「智・感・情」は、西洋美術にはないヌードを描いています。女性の裸体を描いたものではない、人間存在の本質を3つの方向から描き、人間の認識の3つのあり方を象徴的に描いたものです。ロゴスとして人間、パトスとしての人間、そしてエロスとしての人間です。
2、裸体画論争
黒田清輝は、西洋美術と表現の自由のためにヌードで戦いました。しかしどうでしょう。西洋は女性蔑視をしています。女性はアダムの骨から生まれました。女性は男性に付随し従属する存在でしかありません。そして「レディ・ファースト」とはなんでしょう。女性は男性に守らなければならない、弱く、頼りにならない存在という意味ではないでしょうか。美の理想像、それは女性の裸体だ。西洋伝統の価値観は、LGBTの時代を迎えて、大きく揺らいでいます。さらに表現も変わってきています。米国の若手写真家(ライアン・マッギンレー)は性的関心を無視したヌード写真を撮っています。
黒田清輝はヌードを描けば女性を差別してしまう。そのパラドックスに本能的に気づいていました。その到達点が爽やか叙情の「湖畔」であり、哲学的な「智・感・情」です。
好色ヌードは、春画にたっぷりある。そして女性蔑視のヌードを、芸術とは呼べない。「裸体画論争」と「腰巻き事件」は、ふたつの意味で不毛でした。
3、阿修羅像
興福寺の「阿修羅像」は、黒田清輝の絵画「智・感・情」に似ています。3つの顔と6本の腕は、「智・感・情」の顔と手です。仏教は教えます。私たち人間は六道(ろくどう、りくどう)を輪廻する。六道とは、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道。阿修羅は修羅道で戦っています。阿修羅の戦いとは私たち自身の人間の心の中の戦いです。つまり、「智・感・情」の戦い、ロゴスとパトスとエロスの戦いです。
阿修羅像の姿は三面六臂(さんめんろっぴ=三つの顔を6本の腕)と呼ばれます、「智・感・情」は黒田清輝が描いた三面六臂です。日本の伝統哲学は西洋絵画の文脈の中で甦りました。