クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。
クリエーティブ・ビジネス塾8「ズボン禁止令」(2013.2.27)塾長・大沢達男
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1、ズボン禁止令
パリの女性には「スボン禁止令」という条例がありました。「女性がズボン着用を希望する場合には警察署の許可が必要」。1800年に制定されました。フランス革命は1789年、当時はナポレオンが活躍していた頃です。その後条例は、1892年と1909年に自転車・馬に乗る場合はズボンOKと緩和されますが、200年以上「ズボン禁止令」は生きていました。そしてこのたび、フランス憲法に抵触し無効と、宣言されたのです(2/5東京夕刊)。
フランス革命までの貴族の男性は半ズボン(キュロット)をはいていました。革命派たちは、だぼだぼの長ズボン(サンキュロット)をはく、サンキュロット派として登場します(『カタチの歴史』P.142 今井和也 新曜社)。つまり「ズボン禁止令」は、女性が男性のマネをすることを恐れ、革命派の勢力拡大を恐れて制定されました。新聞は「ズボン禁止令」を前々世紀の遺物のように報じましたが、「ズボン禁止令」は、ファッション王国・フランスの「見識」だった、のではないでしょうか。
2、ゴダール
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、彼の映画『映画史』のなかで、「アメリカが映画をダメにした。アメリカのテレビが映画をダメにした」、と主張しました。この言い方を借りればこう言えます。「アメリカがファッションをダメにした。アメリカのGパンがファッションをダメにした」。
ルネサンス以降女性のファッションは、コルセットでウエストをぎゅうぎゅうに締め付け、スカートをできるだけ大きく拡げるファッションでした。その時代を終わらせたのが、フランスのポール・ポワレとココ・シャネルでした。まず1900年代にポワレは、コルセットのない細身のドレスを作ります。1920年代、シャネルのギャルソンヌ・ルック(少年のような娘)は、シンプルでストレートなラインのファッションを流行させました。そのあとスカート・ファッションは膝下何センチかをめぐって争われます。そして1960年代のイギリスでのミニスカートの登場で膝上何センチかの議論に変わります。
1970年代にはアメリカからのGパン革命が押し寄せます。フランス人は抵抗しました。1980年代にパリのシャンゼリゼをGパンで歩く人は限られていました。フランス人は英語を話すことも、Gパンをはくことも、ハンバーガーを食べることにも抵抗しました。しかしその抵抗も2000年まででした。
ふたりの実存主義哲学者を主人公にした映画『サルトルとヴォーヴォワール 哲学と愛』(2006年)では、戦争前のフランスの若者たちのファッションが登場します。Gパン姿のマドモアゼルは一人もいません。スカートだと、上はTシャツというわけにはいきません。プラウス、セーター、ジャケット、その色とデザインの豊かなこと。そうなるとヘアスタイルにもバリエーションが出てきます。Gパンはたしかにファッションをダメにしました。
3、スカート
オードリー・ヘップバーンは一番女性に人気がある女優です。いろいろな写真がありますが、プライベートでニューヨークに行ったときの、ローヒールで黒のスーツの何気ないファッションが印象に残ります。パンツルック、ショートパンツの写真もかわいいですが、それらはオカズみたいなもの、メインは膝下20~30センチのスカート姿のオードリーです(『femme(フェム)』二見書房)。
セクシーでいまもアメリカで人気のあるマリリンモンロー。彼女のベストショットは、「地下鉄の風のスカートめくり」、ではありません。朝鮮戦争のアメリカ軍兵士を慰問するカットです。何百、何千の野獣のような兵士の前で、ラメのワンピース姿をハイヒールでさらけ出します。もちろんステージの上です。野獣たちはスカートの中を少しでも見ようと押し寄せてきます(『M・モンロー』新潮社)。
同性婚(Gay Marriage)、男女平等(Gender Equality)が、世界の大きな波になっています。女性らしさ(Feminine)、男性らしさ(Masculine)をもう一度考え直す時がきています。
「ズボン禁止令」復活(そんな運動ありませんが)に賛成します。スカート万歳!それもロング。膝下15~30センチぐらいがいい。トップに何を着る。ロング、ウエーブ、アップ・・・ヘアはどうする。おしゃれが楽しくなります。週に1日だけでも、「ズボン禁止の日」を作りませんか。ただし、スカートの下にジャージをはいた「はにわルック」は禁止。そこんところ、よろしく。