佐藤可士和。彼こそ今だ。

コンテンツ・ビジネス塾「佐藤可士和」(2010-28) 7/27塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、クリエイティブシンキング
ユニクロ国立新美術館、スーツセレクト、東京都交響楽団などのクリエイティブワークで、現在の日本のトップを走るアートディレクター『佐藤可士和のクリエイティブシンキング』(佐藤可士和 日本経済新聞出版社)が売れています。
1)コミュニケーションドクター
アートディレクターの仕事は、クライアントの課題をカウンセリングを通して見つけ出し、それに対する処方をデザインという処方で行うものです。アートディレクターは医者と同じです。医者が診察を問診から始めるように、クリエーターもクライアントの本意を引き出す問診力が必要になります。悩みを聞き、問題を洗い出し、取り組むべき問題を明らかにするのです。
2)環境をデザインする
マスメディア中心の時代は終わります。コース料理ではなく、前菜やパスタだけでもいいのです。キリンチビレモンの小さなボトルはコンビニの陳列棚で輝きました。平凡な日常に驚きを生みました。
3)コンテンツからコンテクストを作る
コンテンツとは内容、コンテクストとは文脈。コンテンツは過去から未来に向かうひとつのストーリーを構成していなければ、ブランドの力になり得ません。筋力トレーニングと同じ。部分の筋肉を鍛えながら、それらを連動させて大きな力を発揮させるのです。
以上からわかるように佐藤の方法は地道で論理的、魔法の思考法を紹介しているではありません。
2、ユニクロ・ソーホー・ニューヨーク店
佐藤の仕事の代表作は、ファストリテイリングであり、ユニクロです。
1)From Tokyo To New York
ユニクロは06,11,10にソーホーニューヨーク店をオープンしています。そのときのクリエイティブディレクターが佐藤可士和です。「東京からニューヨークへ」、このキャッチコピーは強力でした。ファッションの先輩ニューヨークに対して、田舎者東京が挑戦状をたたきつけたのです。英文字のUNIQLOの文字は修正されました。そしてその英文のロゴの隣にカタカナの「ユニクロ」のロゴが並んで使われるようになりました。ジャパンポップカルチャーが世界に向けて発信を開始したのです。
2) Paris & 5th Avenue
ソーホーニューヨークの成功をもとにロンドン店もオープンしました。さらに、09,10,2にはとうとうファッションの本場パリに殴り込みをかけます。キャッチコピーは、"From Tokyo To Paris","From Tokyo To The World"に変わっていきます。このときユニクロは日経で3連見開き90段(3ページ裏表)という見たこともない広告を打ちます。パリではフランスパンの袋をメディアとして使いました。
そしてユニクロは11年にNY5番街に出店する計画を発表、ついに挑戦者ではなく主役になります。
3)バングラディッシュ
ユニクロの親会社ファーストリテイリング(FR)のスローガンは、「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」。事実、FRは世界を変えようとしています。洋服がないために学校に行けない子供たちがいるバングラディッシュで工場を始めます。「社会事業」として、現地の人々に仕事を作り、着る服がない人々のために1ドル(88円)のTシャツを売ります。
3、佐藤可士和
ハマる(熱中する)。佐藤は次から次へとハマります。美大受験のためにアート、次は大学時代にバンド、作曲とデモテープ作りをやっているうちに美術と音楽さらに映像、空間、ファッションの表現の共通性に気がつきます。次はスノーボード。バランス感覚を磨くために、サーフィン、スケボーも。それはスノボーのファッションと音楽へと広がっていきます。そして現在は農業と漁業、土をいじり野菜を育て、船に乗りカツオを釣り上げています。この行動力には負けたというよりほかはありません。五感をバランスよく使っているから、いざとなると六感(直感)が働きます。芸術的な思考法なんてありません。創造力は、ねばり強い論理的な思考の上にしか、花開きません。