コンテンツ・ビジネス塾「ドラッカーその2」(2010-32) 9/1塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、「ドラッカー=経営学部」の間違い
ドラッカーの経営学をそのほかの経営学と並べることはできません。ドラッカーは特別です。ドラッカーを経営学者としてだけ扱い、経営学部に閉じ込めるのは間違いです。
「会社とは利益を追求する組織体」(『経営の基本』武藤泰明 日経文庫 P.18)、この経営学の常識をドラッカーは否定します。「事業体とは何か(中略)たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。(中略)この答えは間違いなだけではない。的外れである」(『現代の経営』 P.F.ドラッカー 上田惇生訳 ダイヤモンド社上 P.43)。さらに「利潤動機なるものは、(中略)現代社会におけるもっとも危険な病原菌である」(『マネジメント』 P.F.ドラッカー 上田惇生訳 ダイヤモンド社 P.15)と言い切ります。企業の目的は社会にあります。それは「顧客の創造」(『現代の経営』上 P.46)です。
ドラッカーの代表作は『現代の経営』上下。ここにも落とし穴があります。『現代の経営』の原題は、”The Practice Of Management"、「マネジメントの実践」です。マネジメントは、企業経営ではありません。組織運営の実践、人間集団をどう動かすか、です。決してうまい儲け方のヒントに溢れた企業経営をテーマにしているわけではありません。
2、『現代の経営』を読む
以上のことを前提にして、『現代の経営』から3つの企業エピソードを紹介します。
1)シアーズ物語
これはまだ自動車がない19世紀末から20世紀初頭のアメリカでの話です。広大な国土に住む農民たちは、鉄道か馬で都会に出るか、たまに来る信用できない行商人を頼るほかに、生活日常品を買う手段がありませんでした。シアーズはこの全国に散らばる農民の巨大な市場に注目しました。カタログを作り、通信販売を始めました。経営方針は「満足保証」「委細かまわず返金します」。シアーズは農民たちの信頼を勝ち取りました。眠っていた巨大な市場が現実のものになりました。そればかりではありません。シアーズのカタログは、「聖書」とともにアメリカの家庭に置かれるようになります(上P.32~P.35)。
教訓1:企業とは、「顧客のための経済的な機関」(上P.?)です。
2)フォード物語
自動車の大量生産は1908年発売のT型フォードから始まります。ドラッカーのフォード物語は、天才フォードのつまずきの話です。1920年代に2/3あったフォードの市場シェアは、1940年代には1/5にまで低落します。原因は、ヘンリー・フォードの独断的経営と秘密警察的人事管理でした。有能なマネジメントは次々とフォードを離れました。天才フォードは会社を個人的な所有物と考えるようになっていました(上P.157~P.158)。
教訓2:企業とは、「人を生産的にするための社会的な機関」(P.?)です。
3)IBM物語
1920年代から1930年代にかけてのIBMの草創期のことです。時代は大恐慌、どの企業も雇用の調整をしなければならなかったときに、IBMは雇用保障の経営方針を貫きます。新しい市場を見つけて成長し、雇用を完全に維持したのです。ニューディール政策はIBM革命と同義語になりました(下P.92~P.100)。
教訓3:企業とは、「公益を考えるべき公的な機関」(P.?)です。
3、近江商人
1)「顧客のための経済的機関」、2)「人を生産的にするための社会的機関」、3)「公益を考えるべき公的機関」。これはドラッカーの代表作といわれる『現代の経営』の冒頭に書かれている企業のとらえ方です。ドラッカーのテーマであり、結論です。
ひと言にすればどうなるでしょうか。「三方よし」。つまり「買い手よし、売り手よし、世間よし」、鎌倉・江戸に始まり、現代にまで受け継がれている、近江商人の言葉につながります。ドラッカー100年の思想には、近江商人1000年の夢があります。