ドラッカーは50年前に、GMの破綻と環境問題と






コンテンツ・ビジネス塾「GMの敗退(ドラッカー6)」(2010-41) 11/2塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

ドラッカーは、1943年秋から1年半にわたりGMの依頼により、GMの経営と組織を調べ、提言をまとめています。しかしGMの経営陣はドラッカーに一切耳を貸しませんでした。
『企業とは何か』(P.F.ドラッカー 上田惇生訳 ダイアモンド社)はこのときに書かれました。ドラッカー恐るべし。GMの破綻(そして地球環境の破綻)を50年前に予言しています。
1.企業が基盤となる産業社会は成立するか。
企業は経済的だけでなく、社会的、政治的な機能を果たさなければならない。
1)企業は社会の組織として、社会の福祉の完成に寄与しなければならない。
働くものの市民性の回復に家族主義的経営と労働組合運動は役に立たない。仕事の現場では、理解ある父より手荒なボスのほうがましであり、労組は反産業反社会でなくてはならないからである。
2)企業の課題は、正義の約束(機会の平等)と自己実現の約束(位置と役割)を果たすことである。
人の尊厳は仕事を通してのみ得られる。満足度は仕事の内容ではなく、重要度に左右される。
3)人は金のためだけに働くのではない。労使関係を賃金問題だけにするのは間違いである。
2、利益とはなにか。
利益は社会的行動の客観的事実で、利潤は人間の主観的な欲求である。利益の淵源を人間の心理的欲求の利潤動機に求めたのは古典派経済学の誤りである。
1)利益は公益に反しない。社会の福祉と存続に不可欠である。
2)利益は経済活動に対する客観的事実であり、唯一の評価尺度である。
3)利益はリスクの対する保険、未来の投資の原資である。
3、人に対する支配(自由とは)。
歴史上の極悪人(独裁者)は、守銭奴ではなく、いつも清廉(せいれん)の士である。
1)人の人に対する支配力を認めてはならない。支配を抑制できるものがいなくなるからである。
2)自由主義体制の利潤動機は危険ではあるが、権力による暴政の防止にはなる。
3)資本主義社会では豊かな百万長者でさえ人を支配することはできない。その力は全体主義国家の薄給の官吏に及ばない。
4、完全雇用(不況からの脱出)。
完全雇用が実現できないなら、自由企業体制はどのような利点があろうとも、存続できない。
1)不況から抜け出る道が戦時生産以外にないならば、近代産業社会には、全面戦争か、全面不況しかないことになる。
2)今日の失業保険は保険の役割を果たしていない。仕事の代わりに金を与えているだけである。
3)唯一無二の答えというものは信じない。正しいか間違いかではない。うまくいくかいかないかである。マネジメントの値打ちは、医療と同じ。科学性によってではなく患者の回復によって判断しなけらばならない。「経営学原理」ではなく「経営の実践」である。
○なぜGMドラッカーを気に入らなかったのでしょうか。
1)たとえば工場周辺の住民の健康、企業は公益と関わりがある、これがドラッカーの提言でした。しかしGMの経営幹部は企業の社会的・政治的責任を考えることができませんでした。自動車の生産と販売で苦労している、それ以上の事業はできない、と。
2)経営政策は、人が考えたもので陳腐化する、唯一絶対ではない一時的なものでしかありえない。これがドラッカーの提言でした。しかしGMは経営政策を見直すことができませんでした。マネジメントは、ドラッカーの提言を「重力の法則」の見直せとの命令のように感じたのです。
3)労働力はコストではない資源である。これがドラッカーの提言でした。しかしGMは、従業員が欲しいのは金、この旧態依然たる従業員関係を考え直すことができませんでした。
GMは1931年から2007年まで世界一の自動車メーカーとして君臨します。ドラッカーの提言は無意味だったのでしょうか。GMは自動車社会を作りましたが、同時に全人類の地球環境問題も作りました。このことだけを見ても、GMドラッカーの提言を受け入れるべきだったのです。

コンテンツ・ビジネス塾「GMの敗退(ドラッカー6)」(2010-41) 11/2塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

ドラッカーは、1943年秋から1年半にわたりGMの依頼により、GMの経営と組織を調べ、提言をまとめています。しかしGMの経営陣はドラッカーに一切耳を貸しませんでした。
『企業とは何か』(P.F.ドラッカー 上田惇生訳 ダイアモンド社)はこのときに書かれました。ドラッカー恐るべし。GMの破綻(そして地球環境の破綻)を50年前に予言しています。
1.企業が基盤となる産業社会は成立するか。
企業は経済的だけでなく、社会的、政治的な機能を果たさなければならない。
1)企業は社会の組織として、社会の福祉の完成に寄与しなければならない。
働くものの市民性の回復に家族主義的経営と労働組合運動は役に立たない。仕事の現場では、理解ある父より手荒なボスのほうがましであり、労組は反産業反社会でなくてはならないからである。
2)企業の課題は、正義の約束(機会の平等)と自己実現の約束(位置と役割)を果たすことである。
人の尊厳は仕事を通してのみ得られる。満足度は仕事の内容ではなく、重要度に左右される。
3)人は金のためだけに働くのではない。労使関係を賃金問題だけにするのは間違いである。
2、利益とはなにか。
利益は社会的行動の客観的事実で、利潤は人間の主観的な欲求である。利益の淵源を人間の心理的欲求の利潤動機に求めたのは古典派経済学の誤りである。
1)利益は公益に反しない。社会の福祉と存続に不可欠である。
2)利益は経済活動に対する客観的事実であり、唯一の評価尺度である。
3)利益はリスクの対する保険、未来の投資の原資である。
3、人に対する支配(自由とは)。
歴史上の極悪人(独裁者)は、守銭奴ではなく、いつも清廉(せいれん)の士である。
1)人の人に対する支配力を認めてはならない。支配を抑制できるものがいなくなるからである。
2)自由主義体制の利潤動機は危険ではあるが、権力による暴政の防止にはなる。
3)資本主義社会では豊かな百万長者でさえ人を支配することはできない。その力は全体主義国家の薄給の官吏に及ばない。
4、完全雇用(不況からの脱出)。
完全雇用が実現できないなら、自由企業体制はどのような利点があろうとも、存続できない。
1)不況から抜け出る道が戦時生産以外にないならば、近代産業社会には、全面戦争か、全面不況しかないことになる。
2)今日の失業保険は保険の役割を果たしていない。仕事の代わりに金を与えているだけである。
3)唯一無二の答えというものは信じない。正しいか間違いかではない。うまくいくかいかないかである。マネジメントの値打ちは、医療と同じ。科学性によってではなく患者の回復によって判断しなけらばならない。「経営学原理」ではなく「経営の実践」である。
○なぜGMドラッカーを気に入らなかったのでしょうか。
1)たとえば工場周辺の住民の健康、企業は公益と関わりがある、これがドラッカーの提言でした。しかしGMの経営幹部は企業の社会的・政治的責任を考えることができませんでした。自動車の生産と販売で苦労している、それ以上の事業はできない、と。
2)経営政策は、人が考えたもので陳腐化する、唯一絶対ではない一時的なものでしかありえない。これがドラッカーの提言でした。しかしGMは経営政策を見直すことができませんでした。マネジメントは、ドラッカーの提言を「重力の法則」の見直せとの命令のように感じたのです。
3)労働力はコストではない資源である。これがドラッカーの提言でした。しかしGMは、従業員が欲しいのは金、この旧態依然たる従業員関係を考え直すことができませんでした。
GMは1931年から2007年まで世界一の自動車メーカーとして君臨します。ドラッカーの提言は無意味だったのでしょうか。GMは自動車社会を作りましたが、同時に全人類の地球環境問題も作りました。このことだけを見ても、GMドラッカーの提言を受け入れるべきだったのです。