ドラッカー、それは常識破りの理論です。

コンテンツ・ビジネス塾「ドラッカーその3」(2010-33) 9/8塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、ドラッカーはどこが違うか。
「大学でマネジメントの名のもとに教えられていることの9割は俗説にすぎず、残りは手続きにすぎない」(『断絶の時代』P.F.ドラッカー ダイアモンド社 P.194~195)。
ドラッカーは既存のマネジメント(経営学)をばっさりと切り捨てます。ドラッカーはどこが違うのでしょうか。まず人間のとらえ方、そして企業の考え方が違います。労働者や経営者ではなく、もっと本質的に人間を考えています。企業や会社ではなく、もっと普遍的に組織を考えています。
2、人間と組織
ドラッカーは、「人間」に対する常識をひっくり返します。
1)「正当な一日の賃金に対する正当な一日の労働」(『現代の経営』下 P.109)
企業と人との間の互いの要求について、この常識的な答えにドラッカーは激しく噛みつきます。「正当な一日の賃金」?そんなものはない。「働く人として企業に要求を突きつける人格を持った人」は、「経済的な報酬を超えて、個として、人として、市民として見返りを要求」します。
2)「働く人の満足」(下 P.159)
これは、仕事の動機づけに対する、いかにも人間性を大切にしたような答。これにもドラッカーは猛然と反対します。達成しているから満足、大過なく過ごせるから満足、何事にも不満だから不満、仕事を改善したいから不満。満足、不満足は何も意味しないからです。企業は、高い水準の仕事を責任を持って達成する人間を、要求しなければいけません。
3)「人全体を雇う」(下 P.101)
「手だけを雇うことはできない。手の所有者たる人がついてくる」、「人の一部を雇うことはできず人全体を雇わなければならない」。 「人的資源」では、「人的」と「資源」を考えなければなりません。資源としての人は利用できます。しかし人格を持つ人を利用できるのは本人だけです。人は、仕事人でも労働者でもありません、人格を持った人です。
ドラッカーは、「組織」の仮面を引きはがします。
1)「政府への幻滅」(『断絶の時代』P.F.ドラッカー ダイアモンド社 P.232)
「政府が成果をあげたのは二つのことだけだった。一つは戦争をすることであり、一つは通貨価値を下落させること」。ドラッカーは政府に対して悲観的です。政府という組織は、イノベーションができない、なにもやめることができないからです。そこでドラッカーは政府事業の「再民間化」を提案します。これにイギリスのサッチャー政権が注目し、現在の「民営化」が始まります。
2)「企業」(『断絶の時代』P.243)
政府をはじめとする組織は変化を阻止するために作られています。ところが企業は特別で、イノベーションのための機関です。政府に不可能な二つのことができます。一つは、事業をやめること。一つは、社会が消滅を許す唯一の組織であること。なるほど、民営化で政府はスリムになります。
3)「学校」(『断絶の時代』P.191)
学校も組織の原理に従います。「やめる」ことがきず、どんどん老化していきます。「大学の医学部では、カリキュラムに科目を追加するところはあっても、廃止するところはない」のです。だから冒頭の引用のように、学校での教科としての「マネジメント」は9割が俗説になってしまうのです。
3、真摯さ
「人間」について考察(『現代の経営』1954年)と、「組織」についての考察(『断絶の時代』1969年)の間には、15年間の米国と世界の変動があります。前者は実践の書としてマネジメント(経営者)の社会貢献への責任を、後者は警告の書として権力者としての知識人の責任を結論にしています。
ドラッカーの思索は、人間とは何か、組織とは何か、社会とは何か、を根本的に問います。そこにおよそ経営学の本では味わえない知的な興奮があります。マネジメントには「真摯さ」という資質が必要である。ドラッカーは自らの言葉を実践するかのように、書くことにも「真摯さ」を貫いています。それが文章の簡潔さと美しさになって実り、歴史に残る名著の源になっています。